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【打率.355/51本塁打/114打点】日本が世界に誇る国民的スターも「デビューから26打席ノーヒット」

  • 2024.4.8
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【問題】1973年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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NPBの歴代通算最多本塁打記録は868本。これは世界記録でもあり、日米のホームランバッターたちが、この数字を目指して本塁打を積み重ねていますが、現在も破られていない不動の大記録です。

この通算本塁打を達成したのは、特殊な打法で知られるあの超レジェンド選手。野球殿堂入りはもちろん、国民栄誉賞も受賞している、国民的大スターです。

今回は、公式戦で記録された通算本塁打のNPB史上最多記録樹立した選手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1959年にプロ入り。

・デビュー当時は全く球がバットに当たらず、「三振王」と呼ばれることも。

・この選手の象徴でもある本塁打王を、引退までに計15回獲得。

・日本人なら誰もが知る伝説のバッターです。

正解は…

王貞治 選手でした!

こちらは、1973年シーズンの成績です。

早稲田実業高等学校から、1959年に読売ジャイアンツに入団してすぐに当時の監督、水原円裕氏から打者転向を指示され、プロ生活を打者としてスタートしました。開幕から1軍でプレーしていましたが、まだこの頃は一本足打法を身につけていなかった王選手。バットを豪快に振り回すだけで、三振の山を築いてしまいました。また、開幕から計26打席もヒットが出ておらず、苦悩が続きます。

そんなルーキー時代の王選手ですが、ついにプロ人生の転機が訪れます。4月26日の対国鉄スワローズ戦、ダブルヘッダーの2試合目で0-0のまま7回に進み、王選手の打席に。カウント2-1の状態から村田元一投手の投げた球を見事に捉え、先制の2ランホームランを放ちました。これが王選手にとってプロ初の安打となり、さらにその本塁打が試合の決勝点となって、2-0で勝利しました。ここからNPB史上通算最多の868本まで、本塁打を積み重ねていきます。

1961年シーズンオフに、荒川博氏が打撃コーチに就任し、一本足打法を体得したことで、王貞治選手は開眼。1962年シーズンに38本塁打、85打点で自身初の本塁打王の獲得に加え、打点王のタイトルを勝ち取ります。以降、13年連続を含む15回の本塁打王に輝き、読売ジャイアンツのV9の立役者に。

1964年シーズンに記録した55本塁打は、2013年シーズンにヤクルトスワローズのウラディミール・バレンティン選手に記録を塗り替えられるまで49年もの間、NPB最多記録でした。その後も本塁打を積み重ね、1980年限りで現役を引退。94年に野球殿堂入りしました。

主なタイトルは、首位打者5回、本塁打王(15回)と打点王(13回)に関しては10回を超える獲得数を誇ります。また、MVP計9回と三冠王2回という異次元っぷり。通算成績は、2831試合、2786安打、868本塁打、2170打点、84盗塁、打率.301。まさに伝説の一言に尽きる大偉業の数々ですね。

そして、1977年9月5日に、日本政府はNPBの読売巨人軍・王貞治選手(現在は福岡ソフトバンクホークスの球団会長)に国民栄誉賞を贈りました。この授賞は、王貞治選手がホームラン世界一の偉業を達成したことを称えたものです。王貞治選手は、野球界での偉業とその人格的な素養に対する政府の評価を受け、この栄誉を受けることとなりました。

「聖人」と呼ばれ、誰よりも野球の普及に貢献した偉大な大スターは現在も球界の顔として君臨しています。


※情報は4月1日時点のものです。

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