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【打率.332/46本塁打/142打点】長嶋茂雄が憧れ、松井裕樹が塗り替えるまで77年間、夏の甲子園の1試合最多奪三振記録を保持した伝説の男

  • 2024.3.25

【問題】1949年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

日本プロ野球の黎明期は、まだ娯楽が少なかった時代。野球観戦は大衆の重要な娯楽の一つであり、プロ野球が果たす役割も大きかったと言えるでしょう。

そんな中、ショーマンシップを大切にして観客を喜ばせ、魅せる野球を貫いた選手がいました。投手を担った時には、股の間から一塁へ牽制球を投げたことも。

そこで今回は、ショーマンシップで大衆を魅了した、日本プロ野球を代表する伝説のスラッガーをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1936年にプロ球団入りしました。

・1944年シーズンと、1947年から3年連続で打点王を獲得。

・1949年シーズンは47本のホームランで見事本塁打王に。

・愛用のバットは「物干し竿」と言われていました。

正解は…

藤村富美男 選手でした!

こちらは、1949年シーズンの成績です。

大正中学校から、1936年に大阪タイガースに入団しました。入団当時は投手として登録されていましたが、1937年シーズンに野手に転向。1939年から1942年までは兵役のため出場できませんでした。

1944年シーズンと、1947年シーズンから3年連続で打点王を獲得。1949年シーズンは打率.322、46本塁打、142打点というゲームのような成績を叩き出し、見事本塁打王と打点王、そしてシーズンMVPに輝きます。1950年シーズンには当時の日本記録となる191安打を放ち、打率.362で首位打者に。1953年シーズンは、本塁打王、打点王のタイトルを手にします。

試合前の練習では曲芸のような捕球やバッティングパフォーマンスを披露し、本塁打を打った際には両手を振ってダイヤモンドを一周してみせたり、あえて激しいスライディングをしたりと"魅せる野球"にこだわり、大衆を喜ばせました。闘志を前面に出すプレースタイルで、「阿修羅の藤村」と呼ばれることも。

主なタイトルは、MVPと首位打者を1回ずつ、本塁打王は3回、打点王に関しては計5回も獲得しています。パフォーマンスだけでなく通算成績も超一流で、1558試合に出場し、1694安打と224本塁打、1126打点を放ち、103盗塁を記録。生涯打率はちょうど.300でした。ミスタープロ野球こと長嶋茂雄選手が憧れ、初代ミスター・タイガースとして記録した猛虎伝説は現在もファンの記憶に鮮明に残り続けていることでしょう。

プロ野球生活では、打者として数々の記録を打ち立てましたが、投手としても、1935年の夏の甲子園で記録した1試合19奪三振は、2012年に桐光学園の松井裕樹選手(現:サンディエゴ・パドレス)が22奪三振で記録を破るまで、77年もの間1試合の奪三振記録を保持していました。


※情報は3月15日時点のものです。

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