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【打率.353/98打点/20本塁打】日本プロ野球"唯一の記録"と"世界記録"を持つレジェンド

  • 2024.4.4

【問題】1952年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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世界最高峰のMLBの舞台において、投打の2刀流で活躍する大谷翔平選手。その一挙手一投足に世界中が注目していますが、「もしもあの選手が、今、現役だったら…」と想像を膨らませたくなる、一人のプロ野球選手がいました。

19歳で20勝を挙げ、戦地から戻ると打者に転向し、46本塁打を放った伝説の選手です。

今回は、戦前には快速球投手として、戦後には強打者として活躍したレジェンドをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1937年にプロ球団入りしました。

・1940年シーズンに20勝を挙げます。

・1950年シーズンに46本塁打を放ちました。

・愛称は「文ちゃん」

正解は…

西沢道夫 選手でした!

こちらは、1952年シーズンの成績です。

1936年に、15歳で名古屋軍に投手として入団しました。1年目は練習生として過ごし、1939年シーズンに6勝を挙げると、1940年シーズンに20勝をマーク。1942年シーズンには、世界最長記録となる延長28回を完投するとともに、同年にはノーヒットノーランも達成しました。

1943年シーズンを最後に応召し、1946年に復員。中部日本軍に復帰しますが、応召中に肩を痛めたことから、ゴールドスター移籍時に打者に転向します。打者としてもその才能を開花させ、1949年シーズンに37本塁打、1950年シーズンには46本塁打を放ちました。

1952年シーズンは打率.353、98打点で首位打者と打点王のタイトルを手にします。1958年に現役を引退し、背番号「15」は中日ドラゴンズの永久欠番となりました。大谷翔平選手とは違い、投手・打者として同時にプレーしたわけではありませんが、投手として20勝、打者として40本塁打をマークしたのは日本プロ野球史上では西沢道夫選手だけ。その栄光を讃え、1959年3月15日に背番号15は中日ドラゴンズ初の永久欠番となりました。

もしも西沢道夫選手が二刀流に挑戦していたら…。そんな想像をせずにはいられない、球史に残る成績を収めたレジェンドです。


※情報は4月2日時点のものです。

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