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【防御率1.40/38勝/336奪三振】パ・リーグ史上初の投手5冠王となった"史上最強のアンダースロー"投手

  • 2024.4.15
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【問題】1959年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

オーバースローやスリークォーターから投げ下ろす選手とは対照的に、地面すれすれから浮かび上がってくるような球を投げるアンダースロー投手。ボールが一般的な投球フォームとはまったく異なる軌道を描くため、攻略するのは容易ではありません。

そんな独特の投法を操り、「史上最強のアンダースロー」と呼ばれた選手がいました。日本プロ野球史上5人目、パ・リーグ初の投手5冠を達成したレジェンドです。

今回は、現在でも球史に残る大偉業を達成したサブマリン投手をテーマにクイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1958年にプロ球団入りしました。

・1年目から25勝をマークします。

・1959年シーズンには38勝を挙げ、投手5冠王に輝きます。

「魅惑のアンダースロー」とも呼ばれるほど美しく凄まじい投球でした。

正解は…

杉浦忠 選手でした!

こちらは、1959年シーズンの成績です。

挙母高等学校から立教大学に進学。そこでは同期だった長嶋茂雄選手と共に活躍し、本屋敷錦吾選手と3人で「立教三羽ガラス」と呼ばれ親しまれていました。1年生の春から早くも登板し、当初は典型的なオーバースロー投手でしたが、大学2年時にアンダースローに転向しました。杉浦選手自身は、当時メガネがセルロイドとガラスで重く、投球の邪魔になると語っており、切り替えたことでコントロール制御が向上したという意外なエピソードがあります。

1958年は、プロ球団の南海ホークスに入団し、新人ながら開幕投手を務めたルーキーイヤーは、27勝を挙げ、見事新人王に輝きます。

1959年シーズンは、38勝4敗という圧巻の成績を収め、チームのリーグ優勝の立役者に。MVPに輝くとともに、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最多完封、最高勝率という、NPB史上5人目かつ、パ・リーグでは史上初の投手5冠を達成します。また、この年の日本シリーズでは、第1戦から4連投、4連勝の活躍。チーム初の日本一に大きく貢献しました。

1960年シーズンは31勝、1961年シーズンは20勝、1964年シーズンも20勝をマーク。地面すれすれから浮かび上がるストレートを投げたほか、横に大きく曲がるカーブを投げ、空振りした左打者の体に当たることも少なくありませんでした。

主なタイトルは、MVP1回、新人王、最優秀防御率1回、最多勝利1回、最多奪三振2回。通算成績は、577試合登板、187勝106敗、防御率2.39。

プロ野球黄金時代にこれ以上ないほどの大偉業を成し遂げ、「史上最強のアンダースロー」を言われた伝説の投手です。


※情報は4月3日時点のものです。

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