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【打率.366/67打点/13本塁打】35歳で初めて“首位打者”に…「イチロー」の名付け親でもある安打製造機

  • 2024.4.27
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【問題】1987年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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プロ野球選手の能力のピークは20代から30代前半であることが多く、この期間に類まれな成績を残し、スタープレーヤーになる選手もいます。

そんな中、キャリアに陰りが見えてきた33歳に移籍を決意し、35歳にして打率.366を記録し、自身初の首位打者を獲得した選手がいるのをご存知でしょうか?また、出題した選手はイチロー選手が活躍したきっかけの人物でもあります。

今回は、35歳で初めて首位打者に輝いた安打製造機をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1974年にプロ球団入りしました。

・1976年シーズンからレギュラーに定着。

・1987年シーズンに初の首位打者を獲得。

・「安打製造機」の異名を取りました。

正解は…

新井宏昌 選手でした!

こちらは、1987年シーズンの成績です。

PL学園高等学校から法政大学を経て、1974年にドラフト2位で指名され、南海ホークスに入団しました。1年目の1975年シーズンは、45試合に出場。2年目の1976年シーズンから二番・中堅としてレギュラーに定着します。

1979年シーズンは打率.358の好成績を残し、ベストナインに選出されます。1981年シーズンは打率.300、1982年シーズンは打率.315をマークし、リーグを代表する巧打者に。1985年シーズンオフに近鉄バファローズに移籍します。

移籍を機に打撃フォームの改善に取り組み、1986年シーズンは打率.288、12本塁打をマーク。1987年シーズンに打率.366、184安打を記録し、35歳にして初の首位打者を獲得。184安打は当時のプロ野球最多記録でした。

1994年にはオリックス・ブルーウェーブの打撃コーチに就任した際、鈴木一郎選手は今では超有名な"振り子打法"で知られていましたが、当時は“変則打法”として光を浴びていませんでした。しかし、新井選手はその才能に注目し、彼を売り出すために登録名を現在の「イチロー」に変更することを提案しました。新井選手と当時の仰木彬監督は従来の打線を組み替え、開幕からイチロー選手をレギュラーとして起用しました。その結果、イチロー選手は驚異的な成績である打率.385と210本の安打を記録し、日本を代表する打者としての地位を確立することとなりました。    

卓越したバットコントロールを活かしたシュアなバッティングに定評があり、1992年シーズン、40歳で2000安打を達成。300犠打をマークするなど、チームプレーに徹することで勝利に貢献しました。通算2038安打を放った、“安打製造機”として名を轟かせたレジェンドです。


※情報は4月25日時点のものです。

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