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【打率.369/本塁打27/打点80】球界の歴史に残る「超僅差」6糸の首位打者争いを制した不屈の"アベレージヒッター”

  • 2024.4.25
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【問題】1980年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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プロ野球界には多くのアベレージヒッターがいますが、彼らが一様に掲げる目標として、首位打者は外せません。シーズンを通して安打を量産し、高打率を維持した選手にのみ与えられる栄誉です。

シーズン終盤になると、首位打者争いはし烈を極め、1976年シーズンの首位打者と2位の選手の打率の差は、わずか6糸でした。1打席1打席に全力で臨むことがいかに大切かがわかりますよね。

そこで今回は、し烈なタイトル争いを制し、首位打者を獲得した伝説のアベレージヒッターをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1970年にプロ球団入りしました。

・1年目に新人王に輝きます。

・1976年シーズンに初の首位打者に。

・1980年シーズンも首位打者を獲得。

正解は…

谷沢健一 選手でした!

こちらは、1980年シーズンの成績です。

習志野市立習志野高等学校から早稲田大学を経て、1970年にドラフト1位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。1年目は107安打を放ち、新人王を獲得。1972年は3番打者に定着し、全試合に出場しました。

中日ドラゴンズの打線の中軸を担い、1976年シーズンに、打率.355で首位打者を獲得。2位と6糸差という、し烈なデッドヒートでした。1978年シーズンから2年間は持病のアキレス腱痛が悪化し、出場機会が減ったものの、1980年シーズンに完全復活。キャリアハイとなる打率.369をマークし、2度目の首位打者に輝き、カムバック賞も受賞しました。

1981年シーズンには、プロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打をマーク。1982年シーズンもチームのリーグ優勝に貢献しました。1984年シーズンは打率.329、34本塁打、99打点の活躍。1985年シーズンに2000安打を達成しました。

通算成績は、1931試合、2062安打、273本塁打、969打点、42盗塁、打率.302。主なタイトルは、新人王、首位打者2回。


※情報は3月19日時点のものです。

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