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【防御率2.92/18勝/72奪三振】「投手初の一億円プレイヤー」となり、NPB歴代1位の記録を持つ"強気"の投手

  • 2024.4.22
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【問題】1983年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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強打者を抑えるためには、内角への要求は避けては通れません。甘く入ると長打を浴びるリスクがありますが、外角一辺倒の配球では、しっかりと踏み込んでミートされやすくなってしまいます。

そんな内角攻めを巧みに用いた、強気の投球スタイルで活躍した名投手がいます。通常、死球を与えると投手は動揺し、調子を乱すことも少なくないですが、今回の選手は全く動じないことから、「ケンカ投法」とも呼ばれました。

今回は、打者の内角を攻める強気の投球で球史に残る成績を収めた大投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1969年にプロ球団入りしました。

・1972年シーズン18勝をマーク。

・1975年シーズンに23勝を挙げました。

・愛称は「トンビ」

正解は…

東尾修 選手でした!

こちらは、1983年シーズンの成績です。

和歌山県立箕島高等学校から、1969年にドラフト1位で西鉄ライオンズに入団しました。チーム名は、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ、西武ライオンズと変わりますが、ライオンズ一筋20年で通算251勝を記録するなど、エースとして長く活躍しました。

1972年シーズン18勝、1973年シーズンに15勝をマーク。1975年シーズンは23勝を挙げ、最多勝を獲得しました。1982年と1983年には2年連続でリーグ優勝と日本一の栄冠を手にし、さらに1985年にもリーグ優勝を果たしました。その時、東尾選手は3回の日本シリーズすべてで救援登板し、1982年には日本シリーズMVPに選ばれ、胴上げされた投手としても知られています。

また、投手が救援登板のみでMVPに輝くのは日本シリーズ史上初めてであり、2017年の日本シリーズでデニス・サファテ選手(福岡ソフトバンク・ホークス)がMVPを受賞するまで日本唯一の記録でした。また、1983年には18勝を挙げ、2度目の最多勝、最優秀防御率、ベストナイン、そしてパ・リーグMVPなど、多くの栄誉に輝いています。

1984年シーズンには通算200勝を達成し、985年シーズンは17勝をマークし、1986年12月29日には、球団との契約更改交渉を経て、前年より900万円アップの年俸1億円でサインをしました。ロッテから中日へのトレードで移籍した落合博満選手は年俸1億3000万円でサインし、彼に次ぐ日本人選手としては2番目、投手としては初めての1億円プレーヤーとなりました。

臆することなく内角を攻め、大記録を残した名投手です。2010年に野球殿堂入り。通算成績は697試合に出場し、251勝247敗23セーブを記録、さらに1684回の三振を奪い、防御率は3.50。

臆することなく内角を攻め、通算与死球165は、今も歴代最多の数字です。


※情報は3月22日時点のものです。

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