1. トップ
  2. 【打率.316/41本塁打/101打点】野村克也の"8年連続本塁打王タイトルを止め、本塁打王でありながら三振は50個以下!?

【打率.316/41本塁打/101打点】野村克也の"8年連続本塁打王タイトルを止め、本塁打王でありながら三振は50個以下!?

  • 2024.4.17

【問題】1969年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

undefined
TRILL作成

強打者揃いのプロ野球界ですが、バッティングフォームは十人十色。バットを高く上げる選手もいれば、小刻みにバットを揺らして構える選手もいるなど、選手それぞれに、最もスイングしやすいバッティングフォームがあります。

では、バットを大きく後ろに引き、左肩に顎を乗せる独特の構えから、本塁打を量産した名スラッガーをご存知でしょうか?

今回は、迫力のある構えから本塁打を量産した右の大砲をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1966年にプロ球団入りしました。

・1967年から、チームの主力打者に。

・1969年に野村克也選手の本塁打数を超え、本塁打王を獲得。

・「ミスター・ブレーブス」の愛称で親しまれました。

正解は…

長池徳士 選手でした!

こちらは、1969年シーズンの成績です。

撫養高等学校から法政大学を経て、1966年にドラフト1位指名され、阪急ブレーブスに入団しました。2年目の1967年シーズンになると27本塁打をマークし、早々に阪急ブレーブスの主力打者になりました。

当時は、本塁打王といえばセ・リーグは世界のホームラン王こと王貞治選手、パ・リーグは野村克也選手がその名を轟かせていました。野村選手は、1961年から1968年までの8年間連続で本塁打王の座に君臨してきましたが、1969年シーズンは長池選手が41本塁打、101打点の活躍を見せ、本塁打王、打点王のタイトルを同時に獲得します。阪急ブレーブスのリーグ3連覇に大きく貢献し、MVPにも選ばれたことでこれまで野村一強だった時代を打破しました。

そのほかにも、絶好調だった長池選手は脅威の打撃力を兼ね備えていて、1967年の6月4日から6月6日にかけては、史上3人目の選手となる4試合連続本塁打を記録し、日本記録を達成します。

1971年には、打率.317、40本塁打、114打点と好成績を記録しました。さらには、32試合連続安打という当時の日本記録も打ち立て、それまでの連続試合安打数の記録保持者である投手の野口二郎選手の記録を見事塗り替え、打者としての威厳を示しました。勢いは止まらず、1973年シーズンも自身のキャリアハイとなる43本塁打で見事本塁打王に輝きます。

阪急ブレーブスで4番打者を務めた9年間は、全シーズンで25本塁打以上をキープしていて、現役時代は阪急ブレーブス一筋だったことから「ミスター・ブレーブス」としてファンに愛されました。通算成績は、打率.285、338本塁打、969打点、1390安打。主なタイトルは、本塁打王と打点王を計3回、MVP2回、ベストナイン7回という文句なしの大功績を収め、引退しました。

本塁打王3回と強打者でありながら、在籍14年間で三振数が100個以上だった年は1度もなく、最多三振も72個。本塁打王を獲得した3年に関しては、いずれも三振が50個以下と非常にコンタクトに優れた打者でもありました。

阪急黄金期の主砲として球団の一時代を築いた伝説のバッターです。


※情報は3月19日時点のものです。

の記事をもっとみる