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【打率.325/29本塁打/95打点】殿堂入りを果たした名選手でもあり、岡田彰布、掛布雅之、宮本慎也らを育て上げた名コーチでもあったレジェンド

  • 2024.3.17
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【問題】1956年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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日本プロ野球の歴代最強バッターは誰か?そんな問いに対して、伝説のスラッガーである荒川博選手は、2人の名前を挙げています。左は、一本足打法のレジェンド、王貞治選手。そして右は、投手の肩口を抜けたライナーがホームランになったという逸話もある、あの選手です。

豪打と、大柄な体型に似合わぬ俊足を武器に、トリプルスリーも達成した大砲と言えば、ピンと来る方もいるのではないでしょうか?

今回は、歴代最強との呼び声もある右の大砲をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1952年にプロ野球球団入りしました。

・1年目から豪打で活躍し、新人王に。

・1956年には29本塁打、打率.325をマーク。

・愛称は「怪童」

正解は…

中西太 選手でした!

こちらは、1956年シーズンの成績です。

高松第一高等学校から、1952年に西鉄ライオンズに入団しました。ルーキーイヤーから打率.281、12本塁打の好成績を収め、新人王を獲得します。

1953年シーズンから四番に座り、36本塁打、打率.314、36盗塁のトリプルスリーを史上最年少で達成。以降、1955年、1956年、1958年と、三冠王に迫る活躍で西鉄ライオンズの黄金期を支え、1956年シーズンにはMVPも受賞しました。なお、1953年シーズンから1956年シーズンまで、4年連続で本塁打王を獲得しています。

1969年シーズン限りで現役を引退。その後は優秀な打撃コーチとして多くの名打者を育成し、日本ハムファイターズ、阪神タイガースでは指揮も執りました。通算成績は、1388試合、1262安打、244本塁打、785打点、142盗塁、打率.307。

捕球できるライナーだと思い、投手がジャンプした打球がグングン伸び、バックスクリーンを超えて場外まで飛んでいったという逸話もある中西太選手。ベンチ前での素振りの音が、反対側のベンチまで聞えたそうです。また、当時西鉄ライオンズの本拠地だった福岡市の平和台球場で放った162mの超特大本塁打は当時日本最長記録とされ、2023年の日本時間7月1日に開催されたロサンゼルス・エンゼルス対アリゾナ・ダイヤモンドバックスの一戦で、大谷翔平選手が放った493フィート(約150m)の本塁打を10m以上も上回っていることから、怪童と呼ぶに相応しいスーパースラッガーでした。

野球殿堂入りを果たした名選手であったと同時に、若松勉をはじめ、岡田彰布、掛布雅之、宮本慎也らを育て上げた名コーチでもありました。

走れる大砲が残した数々の記録と伝説は、これからも語り継がれていくことでしょう。


※情報は3月8日時点のものです。

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