1. トップ
  2. 【防御率2.65/17勝/172奪三振】19歳で最高球速154キロを記録し、オールドファンを今も魅了する"スピードガンの申し子"

【防御率2.65/17勝/172奪三振】19歳で最高球速154キロを記録し、オールドファンを今も魅了する"スピードガンの申し子"

  • 2024.3.27
  • 16721 views

【問題】1985年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

undefined
TRILL作成

投手の球速を計測するスピードガンがプロ野球に導入されたのは、1970年代後半のこと。今では、電光掲示板に1球ごとに球速が表示されるのが当たり前になり、160キロを超えるような球速が表示されると、スタジアムがどよめくこともありますよね。

そんなスピードガンの黎明期に活躍したことから、「スピードガンの申し子」と呼ばれた一人のピッチャーがいました。

今回は、導入されたばかりのスピードガンで最速154キロを記録し、注目を集めた名投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1977年にプロ球団入りしました。

・1979年シーズンから一軍に定着。

・1981年シーズンに初の2桁勝利をマーク。

・1985年シーズンに沢村賞を受賞しました。

正解は…

小松辰雄 選手でした!

こちらは、1985年シーズンの成績です。

星稜高等学校から、1977年にドラフト2位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。1979年シーズンから一軍に定着し、54試合に登板。剛速球を武器に、6勝9敗16セーブ、22SPの好成績を残します。プロ野球に導入されたばかりのスピードガンで最速154キロを記録し、19歳という若さから一躍注目の的になりました。

1981年シーズンに先発に転向し、12勝6敗11セーブ15SPで、初の2桁勝利をマーク。1984年シーズンは、エースとして11勝を挙げます。1985年シーズンは、17勝を挙げて最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞のタイトルを獲得。リーグを代表する投手になりました。

1987年シーズンも17勝をマークし、2度目の最多勝に。6完封でリーグ最多完封も記録しました。1988年シーズンは12勝を記録し、チームのリーグ優勝の原動力に。1992年シーズンは9勝、1993年シーズンは7勝と、ベテランになっても巧みな投球術で活躍しました。

1994年に現役を引退。通算成績は、122勝102敗50セーブ73SP、防御率3.44、1446奪三振。主なタイトルは、最優秀防御率1回、最多勝2回、最多奪三振1回、沢村賞1回、ベストナイン1回。

現在は、小松辰雄の剛速球チャンネルというYoutubeチャンネルにて野球に関する内容を投稿している、スピードガンの普及とともに大活躍した豪速球投手です。


※情報は3月22日時点のものです。

の記事をもっとみる