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「歴代最強だと思う昭和の先発左腕」ランキング!3位「工藤公康」、2位「江夏豊」を抑えた1位は?【野球ファン103人に聞いた】

  • 2024.2.24
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写真:PIXTA

昭和9年(1934)年に誕生したプロ野球。昭和時代のプロ野球界には、球界を代表するような左腕投手が続々と登場しました。右打者が多い時代だっただけに左投手は古くから貴重な存在とされ、炎のような豪速球を武器にした豪腕投手はもちろん、大きなカーブをウリに奪三振を量産した頭脳派なピッチングを見せる投手など、右投げの投手以上に個性のある選手が多数現れた時代でもあります。

そんな歴代のレジェンド選手たちが多数ランクインした昭和に活躍した右投げ先発投手の中で、ファンが歴代最強だと思う投手はいったい誰なのか? 全国のプロ野球ファン103人にアンケートを実施し「歴代最強だと思う昭和の先発左腕ランキング」を作成。その結果をご紹介します!

なお、「最強」の定義は記録や勝利数などの数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。また、抑えへの転向など、一時期先発を務めていた投手も対象です。また、平成など時代をまたいで活躍した投手も昭和時代に出場・活躍をしていれば対象としました。

早速投票結果を見ていきましょう。

【第3位】工藤公康(12票)

昭和時代の終わりから始まる西武の黄金期を支えた工藤公康投手が第3位にランクイン。

平成時代に入ってからも活躍を収めた上、近年では福岡ソフトバンクホークスの監督としても在籍7年間で5度の日本一を獲得した名将としても知られています。アンケート結果を見ると、工藤投手の現役時代を知る40代後半から50代のファンからの支持を多く得ました。

高校時代から甲子園大会で史上18人目となるノーヒットノーランを達成するなど、大舞台での強さを見せていた工藤投手は西武へ入団。プロ入り1年目の1982年から一軍で登板する機会に恵まれましたが、故障に見舞われなかなか大成出来ずにいました。

工藤投手が変化を見せたのはプロ入り4年目の1985年。この年は開幕こそ二軍スタート、シーズン初登板も中継ぎとしての起用でしたがしり上がりに調子を上げて先発ローテーション入りを果たすと、防御率2.76で最優秀防御率のタイトルを獲得。西武のリーグ優勝に貢献しました。

すると、工藤投手はここから本領発揮。翌1986年には自身初の2桁勝利となる11勝を挙げて常勝西武の左のエースの座に。リーグ連覇、さらに自身3度目の日本一を経験します。ちなみに日本一の胴上げの際、胴上げの輪に加わらずカメラに向かって万歳する様子がこの年の流行語である「新人類」の象徴となり、シーズンオフに行われた新語・流行語大賞では清原和博選手、渡辺久信投手とともに表彰されました。

以降、工藤投手は大きく曲がるカーブとストレートを駆使した本格派のピッチングで西武黄金期を支えると、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズなどチームを転々としながら勝ち星を積み重ねて、2010年に西武で引退するまでに通算224勝をマーク。実働年数29年はNPB記録となるなど、息の長い投手として活躍しました。

高卒1年目から開幕一軍ベンチ入りし、その期待の高さを伺わせると、4年目から本格的に先発ローテーション入り。キレのある直球、カーブを軸に相手を抑え込み、防御率2.76でタイトルを獲得するなど大活躍し、その後の西武黄金期を支えた彼が最強の左腕先発ピッチャーだと思います。(43歳・男性)
優勝請負人とまで言われていた、大事な場面での勝負強さはすごいの一言でしかなく、残した成績も一流だったから。(48歳・男性)
愛工大名電時代から注目していました。クリクリとした可愛い顔と投げる球のギャップが激しく、ただのアイドルではなくストレートとカープで勝負する本格派の投手だったと思います。(55歳・女性)
黄金期の西武で日本シリーズで何度も出てきて全く打てる気がしない印象が強かったから。(49歳・男性)

【第2位】江夏豊(21票)

工藤投手と西武時代、チームメイトとなった江夏豊投手が第2位に。

南海ホークス時代以降はリリーフ投手に転向し、現在のクローザーの草分けとなったことで知られる投手ですが、アンケートを見ると主に先発投手として活躍した阪神時代の印象が強く残り、ここまで票数を稼ぎました。

甲子園大会などの全国大会には縁がなかったものの、そのスケール感溢れる投球はプロのスカウトたちが注目し、1966年のドラフト会議で4球団の競合の末に阪神タイガースへと入団した江夏選手は、プロ入り1年目の1967年から先発ローテーションに定着。プロ入り当初はまともな変化球を1つも覚えていないという状態でしたが、それでも豪速球を武器に12勝をマーク。奪三振はリーグ最多となる225を記録するなどその実力を見せつけました。

プロ入り1年目からいきなり素質の高さを見せた江夏投手に対し、チームも高い期待を寄せ、1968年のキャンプでは新たにコーチに就任した林義一投手コーチによる指導で、江夏投手の素質は完全に開花。多彩な変化球を覚え制球力が向上した江夏投手はもう敵なしとなり、勝ち星と奪三振を量産。この年は25勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得。そして奪三振はプロ野球記録どころかメジャー記録すら大幅に塗り替える401を記録しました。

圧巻だったのはこの年の9月17日の対巨人戦。この試合で江夏投手は当時のプロ野球のシーズン奪三振記録の353を更新することはほぼ確実視されていましたが、新記録となる354個目の三振をライバルである王貞治選手から奪うと宣言。大きな注目を集めたゲームでしたが、その宣言通りに王選手から三振を奪い、シーズン新記録の354奪三振を記録。甲子園は大歓声に包まれました。

その後江夏投手は1971年のオールスターゲームでもパ・リーグの強打者を相手に9人連続奪三振の離れ業を演じるなど、球界のエースとして活躍。1976年に南海へトレードで移籍するとリリーフエースへと転身を遂げますが、以降は広島、日本ハムと移籍するたびチームを優勝へと導く「優勝請負人」として名を馳せ、1984年に西武で引退するまでに通算206勝193セーブを記録しました。

オールスターゲームでの9者連続奪三振は最強の名にふさわしい大記録だと思います。それも事前に予告して達成したというのはジョーク混じりかもしれませんが更に凄さを感じるエピソードです。(58歳・男性)
アウトコースのコントロールが凄いし、ストレートの球威もトップレベルの投手です。王さんも打ていないことを考えたら、かなり群を抜いていたことは間違いありません。(41歳・男性)
江夏投手の武器は、多彩な変化球です。カーブ、スライダー、フォークボールなど、多くの変化球を投げ分け、打者を翻弄しました。強気な性格から、カリスマ性あふれる選手でした。(38歳・男性)
高卒の新人として初年度からフル稼働し12勝をあげた。とくに節目の三振奪取の時には王や長嶋などの選手から三振を取ろうとして、その前の打者などはわざと四球をだしたりした。また、打撃もよく、自分で投げて自分で打って勝った試合もあった。(44歳・男性)

【第1位】金田正一(56票)

大差を付けて第1位に輝いたのは、通算400勝のプロ野球記録を持つ昭和の大投手、金田正一投手でした。

「プロ野球最多の400勝投手」「長嶋茂雄選手との伝説の対決」などが評価されて堂々の1位にランクイン。昭和どころかプロ野球史上最高の投手と言っても過言ではない不世出の大投手が貫禄を見せつける形となりました。

享栄高校在学中の1950年にスカウトされ、高校を中退して国鉄スワローズに入団した金田投手は、8月にプロ初登板を飾るといきなり8勝。2年目の1951年にはシーズン107試合中、44試合に先発登板して22勝をマーク。9月には史上最年少となるノーヒットノーランを達成するなど、10代にしてその投球はプロ野球界を席巻しました。

以降、金田投手はシーズン20勝を14年連続で達成。1957年には左腕投手として史上唯一となる完全試合を達成するなど、プロ野球界を代表する投手に君臨。1958年にはこの年に巨人に入団した長嶋茂雄選手と開幕戦で初対決。長嶋選手を4打席4三振に仕留めて貫禄を見せつけ、多くのファンに金田投手の偉大さを知らしめる結果となりました。

そんな金田投手でしたが、当時在籍していた国鉄はプロ野球屈指の弱小チーム。在籍15年で353勝を挙げながらも優勝とは縁がなかったことから、1965年に巨人へ移籍。この年の開幕時点で31歳とベテランの域に達していた金田投手でしたが、強豪チームの中に入っても金田投手は熟練の投球を見せて、この年は11勝を記録。金田選手が入団したこの年以降、巨人は9年連続日本一を達成するという黄金期に突入。金田投手は1969年に現役を去りましたが、プロ最終年となるこの年も5勝をマークして通算400勝を達成。この記録は未だに誰にも破られていない不滅のものとなっています。

金田投手の魅力は何といっても豪速球。スピードガンのない時代だったため、正確な球速は不明ですが、全盛期に対戦した打者たちはこぞって「160キロは出ていた」と口にするほど。これに「頭の高さでボールが来て、捕手のミットに収まるころにはストライクゾーンに来ている」と評されるほど落差抜群のカーブを組み合わせた投球で奪三振を量産し、プロ野球界の歴史に名を残す存在となりました。

日本プロ野球の歴史で唯一の400勝達成投手であり、通算完投の日本記録保持者でもあります。昭和に活躍した先発投手で金田さん以上の人はいないと思います。(39歳・男性)
プロ通算400勝に加えて4000を超える奪三振を奪ってきた記録にも記憶にも残る歴代最強左腕です。伸びのあるストレートと大きく割れるカーブのコンビネーションで奪う三振は見ていて気持ち良いぐらいです。(32歳・男性)
圧倒的な成績を残しており驚くべき記録をいくつも持っています。球速やカーブの凄さはひょっとすると現代でも通用するレベルかもしれません。傑出した存在であり金田さんがふさわしいでしょう。(48歳・男性)
日本プロ野球最多の勝利数。前半はあの弱小球団国鉄スワローズで勝利を重ねたというのもすごい。(51歳・男性)
おそらく今後現れない400勝投手で新人の長嶋さんから連続三振を奪って見せた剛腕投手ですし、日本でこの記録を抜かれる事が多分ない伝説の投手だからです。(39歳・男性)

4位以下の選手とコメント

大野豊(5票)

広島市民球場ををホームにしているにもかかわらず2年連続防御率1点台と安定したピッチングを七色の変化球で打者翻弄して先発と抑え双方で安定した記録を打ち立てたからです。(38歳・男性)

山本昌(4票)

スピードガン以上のストレート。何より、現役の長さは素晴らしい。(24歳・男性)

結果はこちら

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金田投手が全体の半数以上の票を集めた今回、4位以下に上がった投手はわずかでしたが……その中でも4位に上がったのは5票を獲得した大野豊投手。広島一筋に投げ、先発リリーフを問わない活躍。独特な投球フォームから繰り出す魔球「パーム」を武器にしたピッチングが今のファンの記憶に残っているようです。

この大野投手もそうですが、5位に上がった山本昌投手も選手生活が長かった投手。今回紹介した選手たちで最も短いキャリアは江夏投手の18年。後の4人は実働年数20年以上のキャリアを誇るなど、息の長い活躍を収めました。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月7~9日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:103

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月15日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「投手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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