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「歴代最強だと思う広島カープのエース投手」ランキング!3位「北別府学」、2位「前田健太」を抑えた1位は?【プロ野球ファン100人に聞いた】

  • 2024.2.3
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写真:PIXTA

数あるプロ野球チームの中でも最も地域に密着している球団といっても過言でないのが広島東洋カープ

1950年に創設されて以来、地元・広島の人たちに愛されたチームはこれまでにリーグ優勝9回、日本一を3回達成するという強豪チームでもあります。

そんな広島東洋カープには、球団の歴史を彩ったエース投手が数多く現れました。抜群のコントロールで勝ち星を積み上げた投手や投打に優れたセンスを発揮し、チームを盛り立てた投手。そして広島を愛し、広島のファンから深く愛された投手など……カープファンならずともプロ野球ファンなら様々な投手が浮かんでくることでしょう。

そんな投手たちが多数ランクインした「広島東洋カープのエース投手」の中で、「歴代最強」は誰なのか?今回、全国のプロ野球ファン100人にアンケートを実施し、「歴代最強だと思う広島東洋カープのエース投手ランキング」を作成。その結果をご紹介します。

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります

一体、誰が「歴代最強・広島東洋カープのエース投手」に選出されるのか。

投票結果を見ていきましょう。

【第3位】北別府学(24票)

広島カープの黄金期と呼ばれた1970年代後半から1980年代に不動のエースとして君臨した北別府学投手が第3位に。

広島一筋に現役19年間を全うし、積み重ねた213勝は今もカープ歴代最多勝の記録となっています。

広島が初のリーグ優勝を飾った1975年のドラフト会議で1位指名を受けて入団した北別府投手はプロ入り2年目の1977年から先発ローテーション入り。プロ入り4年目にはチームトップの17勝を挙げて広島のリーグ優勝、そして球団初の日本一に大きく貢献しました。

それ以降も広島のエース投手として安定した成績をマーク。1978年から11年連続で2桁勝利を挙げて、1982年には自己最多となる20勝を挙げて初タイトルとなる最多勝を獲得。その4年後の1986年にも18勝を挙げて2度目の最多勝に輝くとともにチームをリーグ優勝へと導いています。

さらに北別府投手のすごいところは30代を過ぎてもエース投手としてチームを支えたところ。1989年に連続2桁勝利記録がストップして、翌1990年も8勝止まり。規定投球回も2年連続でクリアできずに終わるなど限界説がささやかれる中で迎えた1991年には熟練の投球で11勝を挙げて復活。チームとしては5年ぶりとなるリーグ優勝の原動力になりました。

北別府投手の活躍を支えたのは何といっても正確無比なコントロール。多彩な変化球をボール1つ分だけストライクゾーンから出し入れするという熟練のピッチングは「精密機械」と称され、多くの打者にとって手ごわい投手として君臨。また、故障に強く現役19年間で100イニングを投げられなかった年はわずか4回のみと毎年、安定してマウンドに登っていた姿もエース投手として強烈な印象を与えた所以でしょう。

精密なコントロールは、神の領域です。ストレートは速くないのに詰まらせてゴロの山を築く投球は、投手の教科書です。(42歳・男性)
総合力と抜群の制球力と安定感でまさにエース。(58歳・男性)
最多勝利、最高勝率、最優秀防御率、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などを受賞しているため(48歳・男性)
とにかくコントロールの良い選手というイメージが強くあります。特にスライダーを内と外の出し入れが凄かったです。ここまでコントロールのいい投手は他にいません。(32歳・男性)

【第2位】前田健太(26票)

第2位には“マエケン”の愛称で知られ現在メジャーリーグで活躍をする前田健太投手がランクイン。

広島在籍時の8年間はリーグ優勝はおろかAクラス入りも2度のみとチームが低迷している時期でしたが、そんな中でも97勝を挙げ、プロ入り3年目からは毎年170イニング以上投げるという大車輪の活躍を収めたこと、20代から40代の比較的若い世代の支持を得たことで、北別府投手との3位争いを制しました。

PL学園時代から評判の好投手として注目された前田投手は広島入団2年目の2008年にエースナンバーの18番を背番号に付けると、チーム2位となる9勝を挙げて先発ローテーションに定着。この年が公式戦での使用は最後となる広島市民球場の最後の勝利投手にもなりました。

そして2009年には新設された本拠地MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島での初の勝利投手となって、翌2010年には15勝8敗、防御率2.21、174奪三振という好成績を残して最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を達成。そして沢村賞も受賞して広島のエース投手として確固たる地位を築きました。

その後も前田投手は毎年のように2桁勝利を記録して広島のエース投手どころか球界のエース投手として注目を集めることに。広島でのラストイヤーとなった2015年には2度目の最多勝、沢村賞にも輝きました。

前田投手の魅力はストレートを中心とした本格派なピッチング。直球とスライダー、そしてチェンジアップを駆使した緩急を生かしたピッチングで奪三振を量産しました。さらに分業化が進んだ現在のプロ野球界では珍しいほど完投能力が高く、在籍8年間でシーズン200イニングを4度記録。イニングイーターぶりもファンには強烈な印象となったことでしょう。

こうした活躍を広島で収めた前田投手は2016年からメジャーリーグへ移籍、ドジャース、ツインズで通算65勝を挙げ、2024年シーズンからはデトロイト・タイガースへ移籍。新天地でのさらなる活躍に期待です。

ものすごい球速はないものの、変化球を巧みに使い、簡単にアウトを取っていくのはかっこいいなと思いました。バッティングもよく、投打で指揮を上げる姿は流石エースだと思いました。(24歳・男性)
最優秀防御率(10年、12年、13年)、最多勝(10年、15年)、最多奪三振(10年、11年)、最優秀投手(10年)、ベストナイン(10年、13年、15年)、ゴールデングラブ(10年、12年、13年、15年)、沢村賞(10年、15年)など、文句なしの成績を残しているからです。(48歳・男性)
気迫のこもったピッチングでチームを引っ張っていく姿はエースの貫禄があったから。(33歳・男性)
緩いカーブを有効的に使い、ストレート・フォーク・スライダーとのコンビネーションが良かった。また、広島だけにとらわれず全球団を通してもバッティングが素晴らしかった。(45歳・男性)

【第1位】黒田博樹(27票)

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写真:AP/アフロ(写真はヤンキース時代)

2位の前田投手との投票差はわずか1票という大激戦を制し、1位に輝いたのは黒田博樹投手

現役20年間で日米通算203勝を挙げた文句なしのレジェンド投手ですが、広島のファンには今もなお球団の歴史に名を残すエース投手として強烈な印象を残しています。

プロ入り1年目から先発ローテーションに入って6勝を挙げるなど、即戦力として活躍した黒田投手でしたが、意外にも2桁勝利を達成するのはプロ入り5年目の2001年。翌2002年も10勝を挙げましたが、負け数も同じく10となかなか貯金を作ることができず、エースとしてはやや物足りない印象を与えました。

というのも、当時の広島はリーグ優勝どころかAクラスからも遠ざかっていた暗黒時代。そのため黒田投手がいくら好投しても勝ち星が付かずに報われないケースが目立ちました。それでも黒田投手は腐らず、チームのためにと投げる姿がファンの印象に強烈に残りました。

そして迎えた2005年。黒田投手はシーズンを通じて安定した投球を見せて自己最多の15勝を記録すると、翌2006年には防御率1.85で自身初タイトルとなる最優秀防御率を獲得しました。さらに2007年に12勝を挙げて3年連続で2桁勝利を達成。文句なしの広島のエース投手となりました。

これだけの実績を残した黒田投手は2008年、メジャーリーグへ挑戦しロサンゼルス・ドジャースへ移籍。スライダーやフォークを生かしたピッチングで打者を打ち取り、メジャーでも7年間で79勝。ドジャースとヤンキースというメジャー屈指の名門チームでもエース級の活躍を見せました。

そして2015年、ヤンキースをFAになった黒田投手はメジャー球団からの高額なオファーを蹴ってまで広島へ復帰。カープ愛を貫いた“男気復帰”で改めて広島ファンの心をグッとつかみました。

その2015年、黒田投手は11勝を挙げてその力をアピールすると、翌2016年にも10勝をマークして広島を1991年ぶりのリーグ優勝に導いて現役引退を発表。エース投手として弱小期のチームを支え、メジャーで活躍した後に再び広島に帰ってくるという広島愛の強さが黒田投手を最強のエース投手として押し上げました。

ちなみに広島で黒田投手が背負った背番号の15番は現在、広島の永久欠番に。文句なしの広島のレジェンドと言えるでしょう。

2桁勝利を何度も達成して最多勝利も獲得しているなど、体の強さで長いイニングを投げて非常に安定した成績を残した選手です。メジャーでも活躍した投球術も超一流だと思うので歴代最強だと思います。(39歳・男性)
完投能力が高く、一つの試合を責任もって投げ切るのはまさしくエースという感じ。イニングイーターで毎年180〜200回投げる能力は素晴らしい。(40歳・男性)
力のある剛速球はなかなか打てなかった。日米で200勝した実績もある。メジャーから戻ってからも広島に復帰するなど、広島愛の強さも印象的だった。(43歳・男性)
MLBで活躍、広島に戻ってリーグ優勝に貢献して引退するまでの流れがかっこ良すぎる。そりゃ永久欠番にもなります。(37歳・男性)
ヤンキース残留を蹴って広島に復帰してくれて、優勝をかざる。まさにドラマを起こしてくれた選手です。(39歳・男性)

4位以下の選手とコメント

大野豊(6票)

苦労人であり努力の人というイメージが強く応援したくなる選手でした。安定感がある投球というのを覚えていて人間性も踏まえて評価しています。(45歳・男性)

江夏豊(5票)

オールスター戦で、9連続三振を取ったのはすごい(68歳・男性)

大瀬良大地(4票)

連続で開幕投手をつとめていますし、広島の4本柱と呼ばれる中でも特に秀でているのでは無いかなと思うからです。(51歳・女性)

外木場義郎(3票)

広島が初優勝した1975年に20勝をあげ、またそれまでに3度もノーヒットノーランをやっているから。(56歳・男性)

森下暢仁(2票)

カーブと分かっていても打てない様子が印象的。カープの投手と言えば森下投手というイメージがある(24歳・男性)

結果はこちら

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黒田投手、前田投手、そして北別府投手がそれぞれ20票以上を得るという大混戦となりました。

4位に選ばれたのは6票を得た大野豊投手。現役22年間を広島一筋で終え、先発リリーフ問わずに活躍して通算148勝&138セーブ。腰を落とした独特なフォームから繰り出されるパームボールがファンの印象に残っているようです。

そして現役では大瀬良大地投手が4票、森下暢仁投手が2票をそれぞれ獲得。大瀬良投手は2019年から5年連続で開幕投手を務めていることが評価され、森下投手はカーブを駆使した投球が若い世代から支持されました。

この2人を筆頭に広島には2024年シーズンも好投手が多数在籍。新たなエース投手として強烈な印象を残す選手が現れるか、注目するのも楽しいですね!


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年1月10日、15日
調査対象:全国の20代~60代
有効回答数:100

※記載している回答は原文ママ

※2024年1月29日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「投手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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