1. トップ
  2. セ・リーグ各6球団「最後の沢村賞」投手はだれ?"40年間"沢村賞投手が出ていない球団とは?

セ・リーグ各6球団「最後の沢村賞」投手はだれ?"40年間"沢村賞投手が出ていない球団とは?

  • 2024.2.23
undefined
写真:PIXTA

プロ野球において、シーズンの最優秀投手に与えられる沢村賞。プロ野球黎明期に活躍した読売ジャイアンツの沢村栄治選手を称え1947年に制定されたもので、投手にとって最高の栄誉となります。

その基準は非常に厳しく、登板数25試合以上、完投試合数10試合以上、勝利数15勝以上、勝率6割以上、投球回数200イニング以上、奪三振150個以上、防御率2.50以下という7項目を参考に選出されます。近年は先発・中継ぎ・抑えなどの分業制が進んでいるため、完投数や投球回数の達成のハードルが高くなりつつあります。

現に、2019年シーズンは該当者がいなかったことでも知られています。その背景として、先発完投から投手分業制へ移行したことも難易度が上がった一つだとも考えられています。

そこで今回は、2024年時点で各球団最後のタイトルホルダーをテーマに、「セ・リーグ6球団最後の沢村賞投手」を振り返っていきます。

受賞者には錚々たるレジェンドたちが名を連ねますが、最後に受賞した選手は誰なのか。全員答えられますか?

セ・リーグ最後の『沢村賞』選手

中日ドラゴンズ 大野雄大  【2020/防御率1.82/11勝6敗/148奪三振】

京都外大西高等学校から佛教大学を経て、2010年にドラフト1位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。1年目は、左肩のリハビリ中だったため登板機会はありませんでしたが、2年目に4勝をマーク。2013年から3年連続で2桁勝利を記録し、先発ローテーションに定着すると、2016年、2017年シーズンは開幕投手に。

2019年はノーヒットノーランを達成し、同年と2020年シーズンに最優秀防御率、2020年に最多奪三振に輝き、2020年に沢村賞を受賞。球界を代表する左腕へと成長を遂げます。2021年の東京オリンピックの日本代表に選出され、金メダルに貢献しました。

2022年シーズン5月6日の阪神戦では、9回までパーフェクトピッチング。延長戦に入り初安打を許したものの、1ゲームでの先頭打者から29人連続アウトという、史上最長記録を打ち立てました。

読売ジャイアンツ 菅野智之 【2018/防御率2.14/15勝8敗/200奪三振】

東海大相模高等学校から東海大学を経て、2012年にドラフト1位で指名され、読売ジャイアンツに入団しました。ルーキーイヤーから先発ローテーション入りを果たし、13勝をマーク。2014年シーズンはたび重なるケガに苦労したものの、最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームの3連覇に貢献。セ・リーグMVPにも輝きました。

2017年シーズンはキャリアハイとなる17勝をマークし、沢村賞を受賞。2018年シーズンも選考基準をすべて満たし、文句なしで2年連続の沢村賞受賞となりました。2020年シーズンには史上初となる開幕13連勝を成し遂げ、最多勝、MVPの栄冠に輝きます。

平成最後の沢村賞受賞者であるとともに、最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振の投手三冠王獲得者でもある菅野智之選手。なお、菅野智之選手よりも前に読売ジャイアンツで沢村賞を獲得したのは、2002年の上原浩治選手で、17勝5敗、防御率2.60。

広島東洋カープ クリス・ジョンソン 【2016/防御率2.15/15勝7敗/141奪三振】

2013年にMLBデビュー。2015年に広島東洋カープに入団しました。初登板で1安打無四球完封勝利を挙げ、同年は14勝、防御率1.85で最優秀防御率に輝くなど、文句のつけようがない成績を残します。

2016年シーズンは開幕投手を任され、キャリアハイの15勝をマーク。外国人選手としては2人目となる沢村賞受賞者に。翌2017年シーズンは6勝に終わったものの、2018年シーズンから2年連続で11勝を挙げました。

なお、クリス・ジョンソン選手以前に外国人選手で沢村賞を受賞したのは、1964年のジーン・バッキー選手ただ一人。実に52年ぶりとなる快挙を成し遂げたのでした。

阪神タイガース 井川慶 【2003/防御率2.80/20勝5敗/179奪三振】

茨城県立水戸商業高等学校から、1997年にドラフト2位で指名され、阪神タイガースに入団しました。2001年シーズンに、野村克也監督が先発ローテーションの一人として抜擢。9勝13敗と負け越したものの、リーグ2位の防御率2.67という好成績を残します。

2002年シーズンは開幕投手を務め、初の二桁勝利となる14勝をマーク。206奪三振で最多奪三振のタイトルを手中に収めます。2003年シーズンも開幕投手を任されると、20勝を挙げ、沢村賞を受賞。2023年時点でセ・リーグ最後の20勝投手です。

オーバースローから投げ下ろされる伸びのあるストレートと、フォークボールのように落ちるチェンジアップ、スライダーが持ち玉。MLB移籍後にはカットボールやツーシームも習得しています。2003年の井川慶選手以降、阪神タイガースからは沢村賞受賞者が出ておらず、次に誰が受賞するのか、注目が集まります。

東京ヤクルトスワローズ 川崎憲次郎 【1998/防御率3.04/17勝10敗/94奪三振】

大分県立津久見高等学校から、1988年にドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団しました。1年目は4勝、2年目は12勝を挙げ、先発ローテーションに定着。4年目の1993年シーズンは14勝をマークし、リーグ優勝に貢献し、日本シリーズでもMVPに輝くなど、15年ぶり2回目の日本一の大きな原動力となりました。

1998年シーズンは17勝を挙げ、防御率3.04、94奪三振で最多勝と沢村賞を獲得。シーズン奪三振が100未満での沢村賞は史上唯一です。

一時は成績が下降したものの、1997年シーズンにシュートを覚え、復活。シュートに特化した投手へと変貌を遂げます。なお、通算88勝のうち29勝が読売ジャイアンツ戦で、「巨人キラー」の異名を取りました。

大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ) 遠藤一彦【1983/防御率2.87 18勝9敗 186奪三振】

学校法人石川高等学校から東海大学を経て、1977年にドラフト3位で指名され、大洋ホエールズに入団しました。新人年は1勝に終わったものの、2年目は先発と抑えを任され、12勝8セーブをマーク。チームの主力投手に定着しました。

1982年シーズンに才能が開花し、14勝を記録。1983年は18勝、16完投の活躍を見せ、最多勝、最多完投を獲得。リーグ2位の防御率2.87をマークし、沢村賞に輝きました。翌1984年シーズンも17勝を挙げ、押しも押されぬリーグを代表する投手に。

オーバースローから投げ下ろす、落差の大きいフォークが決め球。カーブとチェンジアップも操りました。通算成績は、460試合、134勝128敗58セーブ、1654奪三振、防御率3.49。

過去20年間の沢村賞受賞選手(セ・パ両リーグ)

undefined
TRILL作成

※情報は2月20日時点のものです。

の記事をもっとみる