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【18→16→18→99→18→16→18】この歴代背番号はだれ?日米計6つの球団を渡り、21世紀初の沢村賞投手となった怪物投手

  • 2024.2.25

【問題】この歴代背番号はだれ?

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日本プロ野球において、特別な意味を持つ背番号「18」。言わずと知れたエースナンバーであり、読売ジャイアンツの藤田元司選手と堀内恒夫選手がその礎を築き、やがて野球少年たちのあこがれの背番号となっていきました。

では、西武ライオンズで「18」を背中に着けた選手と聞いて、どの選手を思い浮かべるでしょうか?背番号「18」にこだわり抜き、2007年からのメジャー移籍後、さらには、日本球界復帰後にもその背中には「18」がありました。

この選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・横浜高等学校出身の選手です。

・プロ入り1年目から16勝の活躍。

・エースナンバー「18」にこだわり続けた選手です。

・愛称は「平成の怪物」。

正解は...

松坂大輔 選手でした!

1980年生まれ。横浜高等学校では、3年時に甲子園春夏連覇を達成。1998年にドラフト1位で西武ライオンズに入団し、当時の背番号はシーズン8年目まで「18」を背負いました。1年目から先発ローテーションに定着し、16勝5敗で最多勝、新人王に輝いた怪物投手として名を上げました。

2001年シーズンに15勝を挙げ、21世紀初の沢村賞投手に。西武ライオンズでの8年間で7度の2桁勝利を挙げ、MLBのレッドソックスへ移籍。MLBでも、お馴染みの18番で活躍し、ニューヨークメッツ時代は「16」に変わりました。その後、福岡ソフトバンクホークスにてNPBに復帰し、再度背番号「18」を背負い、中日ドラゴンズ移籍時1年目の2018年シーズンは「99」でプレーしましたが、2年目に背番号「18」に戻し“エース松坂”を象徴するトレードマークとして定着していました。

2020年に移籍した西武ライオンズでは、「16」と「18」を背負い、日米で活躍した大投手として自身のキャリアを全うしました。同球団では、松坂選手の前に郭泰源選手らが背番号「18」を着けましたが、エースナンバーとしての輝きをもたらしたのは松坂大輔選手の活躍によるところが大きいでしょう。2007年からのメジャー移籍後に加え、日本球界復帰後の福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、西武ライオンズでの引退試合でも「18」を着けたことからその数字に強いこだわりを持ち、数々の偉業を成し遂げたレジェンドピッチャーです。


※情報は2月21日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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