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【66→0→5→25】この歴代背番号はだれ?野手に転向し名球会入りした名選手

  • 2024.2.21

【問題】横浜と広島に在籍していた選手でこの歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球選手の「もうひとつの顔」とも言える背番号。チームやリーグ、プロ野球界全体にとって特別な意味を持つスペシャルナンバーがあり、首脳陣やチームメート、ファンから許された選手だけがその番号を背負うことを許されます。

背番号「#5」はサードのポジション番号であることが多いのに加え、歴代のスラッガーたちが背負ってきた番号でもあります。では、6年目から背番号「5」となり、攻守に渡って球史に残る記録を打ち立てたこの選手は一体誰でしょう?

ぜひ考えてみてください!

ヒント

・投手から内野手に転向。右投左打。

・球界屈指の内野手として活躍

・出題した背番号の1つ「5」は、三塁手としての高い守備力と、打撃力を合わせ持つ選手が背負う番号です。

・1994年から2008年まで背番号「5」を着けました。

正解は...

石井琢朗 選手でした!

1970年生まれ。栃木県立足利工業高等学校から、1998年にドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団しました。投手として入団するも、1992年に内野手に転向し、その才能を開花させます。

横浜ベイスターズ時代は俊足巧打のリードオフマンとして活躍。ミートするのがうまく、どんなコースに投げられても、身体がブレずにしっかりバットを振れるのが特徴でした。1993年シーズンに盗塁王、三塁手としてゴールデン・グラブを獲得。

背番号「66」「0」を経て、「5」を着けたのは6年目のこと。そこから2008年まで背番号「5」を着け続け、2009年に広島東洋カープに移籍したのを機に、背番号「25」に。盗塁王4回、最多安打2回、ベストナイン5回、ゴールデン・グラブ4回という、背番号「5」にふさわしい、輝かしい成績を収めました。

そして、現在は石井選手もコーチとして所属している横浜DeNAベイスターズにて、走攻守の能力を備えた松尾汐恩選手に対し、球団は背番号「5」を与えることに。偉大な背番号の系譜は受け継がれ、今後の活躍に期待が膨らみます。


※情報は2月18日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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