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【7→8→16→8→31→30→7】この歴代背番号はだれ?球団一筋21年で背番号が6回も変わった異例の名選手

  • 2024.2.23

【問題】中日に在籍していた選手でこの歴代背番号はだれ?

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団体競技のプロスポーツで採用されることの多い「背番号」。選手にとって、また、ファンにとっても特別な数字であり、プロ野球においては、各チームに特別な意味を持つスペシャルナンバーが存在します。

では、「7→8→16→8→31→30→7」と、背番号が6回変わった中日ドラゴンズの選手をご存知でしょうか?背番号が変わるのは珍しいことではありませんが、これだけ背番号が変わるのはそうそうありません。また、その背景には群雄割拠のプロ野球界ならではの葛藤や苦労の末の成功が隠されているのです。

一体誰なのかわかりますか?ヒントを参考に、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・右投左打の内野手です。

・3点本塁打が多かったことから、「ミスター3ラン」の異名を取りました。

・中日ドラゴンズ一筋の選手です。

・2006年から2009年まで、幼少期に憧れていた掛布雅之選手と同じ「31」を着けました。

正解は...

森野将彦選手でした!

1978年生まれ。東海大学付属相模高校から、1996年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団しました。2002年シーズンから一軍に定着し、この年は84試合に出場。2006年シーズンに初めて規定打席に到達しました。

現役生活の21年間、中日ドラゴンズ一筋でしたが、背番号を幾度も変更し、計6つの番号を背負った珍しい選手です。森野将彦選手のお気に入りの番号は「16」で、幼少期に憧れていた掛布雅之選手と同じ「31」にも思い入れがあるそう。

また、森野選手には「幻の背番号」という背番号3に関連する逸話があります。

1996年、中日ドラゴンズ入団後に何度も背番号を変更し、最終的には「7→8→16→8→31→30→7」と6つの背番号を持つことになりました。その中で、2009年に立浪和義選手の背番号「3」を継承する話が出ました。彼の功績は大きいものの、永久欠番を制定しない方針だった球団は、森野選手が受け継ぐことには至りませんでした。最終的に森野選手は「3」ではなく「30」を背負いました。

2009年、2010年シーズンには全試合に出場するなど、チームの主力として躍動。中日ドラゴンズ黄金時代の原動力となりました。2017年に現役を引退し、その後は中日ドラゴンズのコーチを務めます。

ちなみに、コーチとして最初に着けた番号の「75」は2022年に「78」に変わりました。


※情報は2月19日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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