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【71→28→17→26→18】この歴代背番号はだれ?シーズン奪三振数の日本記録を達成し、5つの球団を渡り歩いたドクターK

  • 2024.2.27

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

NPBで初めて背番号が導入されたのは1931年の日米野球という記録が残っていますが、当時の背番号選別は今ほど複雑ではなく、漢数字を用いた方法や、名前順で決まっていたケースも多くありました。

今回題材にする選手の背番号もポジションが重要になっていて、ある球団ではその背番号が栄光の背番号とも呼ばれています。

そんな中、イラストでも出題されている背番号「28」は、選手が所属していた球団の代表的なナンバーの一つ。現に1999年以降、28番は全て投手が背負っていて、今やエース格が背負う番号ですが、その礎を築いたのはある大投手です。一体この選手が誰なのでしょうか。ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1966年にドラフト1位指名されました。

・プロ入り1年目から12勝の活躍。

・この選手の活躍により、背番号「28」が左腕の着けるスペシャルナンバーに。

・オールスターゲームでの9連続奪三振記録を持ちます。

正解は...

江夏豊 選手でした!

1948年生まれ。大阪学院大学高等学校を経て、1966年にドラフト1位で阪神タイガースに指名され、1年目の1967年から12勝を挙げました。入団当初は背番号「71」を着けていましたが、まもなく背番号「28」に。当時は、”28といえば江夏”という認識が浸透するほどこの背番号は有名になりました。

高卒2年目の1968年シーズンに、NPB史上最高の401奪三振を記録し、25勝、防御率2.13をマーク。阪神タイガースに在籍した9年間は、いずれのシーズンも2桁勝利を挙げ、背番号「28」をスペシャルナンバーに押し上げます。3年目には、6年連続リーグ最多奪三振を記録し、当時球団の兼任監督を務めていた野村克也選手が在籍する南海ホークスへ移籍し、新たに「17」を背負いました。

1978年、広島東洋カープに移籍し、「26」を背負って、プレーしました。翌年の1979年からは広島でリーグ連覇を達成するとともに、日本一へと導きました。

1981年に移籍し、クローザーを担ってリーグ優勝した北海道日本ハムファイターズでは背番号「26」を続行。そして、現役生活の最後を飾る埼玉西武ライオンズへ移籍した1984年。最後の背番号に選んだのはプロ野球のエースナンバーとも言われた背番号「18」でした。

オールスターゲームでの史上初の9連続三振や、延長戦でのノーヒットノーラン、1979年シーズンの日本シリーズ、9回裏無死満塁のピンチを切り抜けた「江夏の21球」など、記録にも記憶にも残る大投手。

現在、阪神タイガースでは鈴木勇斗選手が、江夏選手以来となる、左腕投手の「28」を着けていています。


※情報は2月21日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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