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【防御率2.95/20勝13敗/193奪三振】29歳という若さで引退するも、通算108勝を挙げた"怪童"

  • 2024.2.22

【問題】1965年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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一流の投手の一つの目安となる、二桁勝利。並み居る強打者たちと相対するプロ野球においては、1勝を挙げることさえ容易ではありません。

そんな中、プロ入り1年目から20勝を挙げ、その後も3年連続で20勝以上をマークした、「怪童」と呼ばれた投手がいたことをご存知でしょうか?

今回は、3年連続で20勝以上を記録した大投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・大阪体育大学浪商高等学校を中退し、1961年にプロ球団入りしました。

・1年目から20勝をマークします。

・1964年から1966年まで、3年連続で20勝以上をマーク。

・豪速球を武器に甲子園の優勝投手となり、「怪童」と呼ばれました。

正解は…

尾崎行雄選手でした!

こちらは、1965年シーズンの成績です。

1961年、大阪体育大学浪商高等学校2年時の夏に甲子園に出場し、持ち味の豪速球を武器に勝ち進み、優勝投手に。「怪童」と呼ばれました。同年11月に高校を中退し、東映フライヤーズに入団します。

1年目から20勝を挙げ、新人王を獲得。チームの日本一に大きく貢献します。1964年、1965年、1966年と、3年連続で20勝以上をマーク。また、初の先発に起用された1962年4月22日の近鉄バファローズ戦では、初完投と初完封の同時達成を記録しました。

ストレートの球威で押す速球投手で、打者を圧倒しました。通算与四球率は2.02と、四球を出さないことでも定評があります。

1967年シーズンは6勝に終わり、酷使したことで肩を痛め、1972年まで未勝利に。現役生活後半は肩の故障との戦いが続き、29歳の若さで現役を引退。スリークォーターよりやや下から放たれる速球で球界を席巻した、球史に残る大投手です。


※情報は2月16日時点のものです。

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