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【防御率1.85/27勝/173奪三振】メジャーのチーム相手に"日本人で初めて完投勝利"を挙げた伝説のサイドハンド

  • 2024.3.7

【問題】1953年シーズンにこの成績を残した選手はだれ?

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TRILL作成

速球派投手と言うと、オーバースローまたはスリークォーターから投げ下ろすイメージが強いですが、かつて小柄な体格のサイドスロー投法ながら、日本プロ野球界を代表する速球派投手として腕を鳴らした選手がいました。

ノーヒットノーラン、最優秀防御率、最多勝、MVP、そして沢村賞など、投手三冠や数々のタイトルを手にした往年の名選手です。

今回は、サイドスローの速球派投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1949年にプロ球団入りしました。

・2年目から一軍に定着。

・1951年シーズンに11勝を挙げます。

・1953年シーズンに沢村賞を獲得。

正解は…

大友工選手でした!

こちらは、1953年シーズンの成績です。

旧制大阪逓信講習所を卒業後、神戸中央電信局で電気技師として働き、戦後は但馬貨物で軟式野球をプレー。1949年に読売ジャイアンツに入団しました。

硬くて重い硬式球に慣れるのに苦労するも、2年も1950年シーズンから一軍に定着。1951年シーズンにはスライダーを覚え、11勝を挙げてチームの主力投手に。1952年にはノーヒットノーランを達成するとともに、17勝、防御率2.25の好成績を残しました。

その才能が大きく花開いたのは、1953年シーズン。スライダーとシュートをで投球を組組み立てられるようになり、27勝、防御率1.85をマーク。巨人のエースとして、最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠王に輝くとともに、ベストナイン、最高殊勲選手など、表彰タイトルなどを総なめにしました。

その活躍がリーグ優勝に大きく関連し、シーズンMVPにも選ばれました。さらに、先発として22回の完投を達成し、沢村賞にも輝いています。また、この年の日本シリーズでは、南海との対戦で第1戦に先発し、5回1/3を3失点で勝敗はつかなかったものの、第4戦では9回を5安打無失点に抑え、3-0の完封勝利を達成しました。

また、同年秋にニューヨーク・ジャイアンツが来日。日本のプロ野球チームは苦戦を強いられ、連敗が続いていました。第10戦において、巨人のエースとして先発した大友選手は、冷静かつ緻密なピッチングで大リーガーたちに対抗し、2-1での完投勝利を手にしました。日本人投手として初めて大リーグの球団から、完投勝利を挙げる快挙でした。

直球の威力は抜群で、キャッチーミットを着けたキャッチャーの指を骨折させてしまったという逸話があるほど。サイドスローから放つ速球で輝かしい成績を残したレジェンドです。


※情報は3月4日時点のものです。

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