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【防御率2.91/26勝/203奪三振】"高卒1年目で沢村賞"を獲得し、13年連続で2桁勝利を挙げた伝説の投手

  • 2024.2.24

【問題】1972年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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プロ野球の投手たちが大きな目標として掲げる沢村賞。そのシーズンに最も活躍した投手に贈られる名誉ある賞で、登板数や完投数、勝利数をはじめ、厳格な基準が設けられており、該当者なしの年もあります。

そんな沢村賞をルーキーイヤーに獲得した投手がいることをご存知でしょうか?勝率.889という、シーズン勝率のセ・リーグ記録を持つレジェンドです。

今回は、ルーキーイヤーに沢村賞を受賞した大投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1966年にプロ球団入りしました。

・16勝2敗で新人王、沢村賞を獲得。

・1972年には26勝をマーク。

・投げ終わった後、帽子が横にズレることもあるほどのダイナミックな投球フォームが特徴的。

正解は…

堀内恒夫選手でした!

こちらは、1972年シーズンの成績です。

甲府市立甲府商業高等学校から、1966年にドラフト1位で指名され、読売ジャイアンツに入団しました。ルーキーイヤーに16勝2敗、防御率1.39、勝率.889の好成績を収め、新人王と沢村賞を獲得。速球とお大きく落ちるカーブを繰り出すことから「沢村二世」のニックネームが付けられました。

入団時の背番号は「21」でしたが、1967年からはエースナンバーの「18」に。1968年シーズンは17勝、1969年シーズンは14勝、1970年シーズンは18勝をマーク。1972年は開幕投手を務め、26勝の好成績でリーグ優勝・日本一に貢献しました。

1967年には、ノーヒットノーランを達成し、堀内選手自身が3打席連続ホームランも成し遂げるという圧巻のプレーを見せました。また、1978年までの13年間は二桁勝利を挙げ、読売ジャイアンツ不動のエースとして大活躍しました。

伸びのある直球と、カーブ、チェンジアップが持ち味で、投げ終わった後に帽子が横にブレる躍動感のある投球フォームでファンを魅了しました。通算成績は、560試合登板、203勝139敗6セーブ、防御率3.27。読売ジャイアンツのV9の原動力となった大投手です。


※情報は2月21日時点のものです。

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