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【打率.263/42本塁打/106打点】NPB史上初の記録を達成し、最強クリーンナップを築いた怪人

  • 2024.2.29

【問題】1990年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

キャッチャー主体の配球をはじめ、MLBとは異なる緻密さを持つ日本プロ野球。日本人選手にとっては当たり前のことでも、海外から移籍した選手はその対応に苦労することも多く、「助っ人外国人」と言われながら、期待通りの活躍を見せられない選手も数多くいます。

重要なのは、日本の「野球」に対応しようと努力する柔軟性。緻密な野球にフィットし、球史に残る類まれな成績を残した選手もいます。

そこで今回は、日本のプロ野球にアジャストし、豪打で活躍した選手をテーマにクイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1989年シーズン途中に日本プロ野球入りしました。

・1年目から32本塁打の活躍を見せます。

・1990年シーズンは42本塁打を放ちます。

・NPB初、スイッチヒッターでの本塁打王獲得者。

正解は…

オレステス・デストラーデ選手でした!

こちらは、1990年シーズンの成績です。

MLBを経て、1989年シーズン途中に西武ライオンズに入団し、83試合に出場。シーズン途中での加入だったにも関わらず、32本塁打を放ちます。翌1990年シーズンは42本塁打、106打点をマークし、本塁打王と打点王のタイトルを獲得。
3番秋山幸二選手、4番清原和博選手と「AKD砲」を形成し、西武黄金期を築きました。

埼玉西武ライオンズ黄金時代の助っ人外国人で、「オーレ」や「カリブの怪人」の愛称で親しまれました。

1991年シーズンも39本塁打、92打点の好成績を残し、2年連続で2冠王に輝きます。1992年シーズンに3年連続の本塁打王に輝き、1990年の日本シリーズから、3年連続で初戦第1打席で本塁打を放つなど、チームのリーグ3連覇と日本シリーズ3連覇に大貢献しました。

翌年MLBに復帰。1995年に再び西武ライオンズに加入しました。1989年シーズンから423試合連続出場の記録を打ち立てるなど、日本の野球にフィットし、豪打で大活躍したレジェンドです。


※情報は2月21日時点のものです。

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