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【打率.323/18本塁打/86打点】4番打者ながら盗塁王を獲得し、歴代最高の154試合フル出場を達成した鉄人

  • 2024.2.23

【問題】1952年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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巧打や強打の選手は数多くいますが、走塁や守備にも長けた選手、つまり、走攻守の3拍子が揃った選手はそう多くありません。それだけに、チームにとって欠かせない存在となり、首脳陣やチームメイト、さらにはファンからも絶大な信頼を寄せられるのです。

では、チャンスに強く、長打が欲しいところで打てる打撃に加え、6年連続40盗塁以上をマークする俊足を武器に活躍し、パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)を受賞した選手をご存知でしょうか?

というわけで今回は、パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)を受賞した、走攻守3拍子揃ったスラッガーをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・旧制浅野綜合中学校から社会人チームの東京鉄道管理局を経て、1947年にプロ球団入りしました。

・1951年シーズンから2年連続で打点王、1952年シーズンから6年連続で40盗塁以上をマークします。

・1948年シーズンから1246試合連続試合出場は当時の最多記録でした。

・温厚な性格から、「仏の徳さん」の愛称で親しまれました。

正解は…

飯田徳治選手でした!

こちらは、1952年シーズンの成績です。

浅野中学校(旧制浅野総合合中学校)から社会人チームの東京鉄道管理局を経て、1947年に南海ホークスに入団しました。1951年シーズンから2年連続で打点王、1952年シーズンから6年連続で40盗塁以上をマーク。1955年シーズンにはMVPに輝きます。

1956年には154試合にフル出場し、歴代最高記録を樹立しました。また、この年のパ・リーグで全試合出場したのは、飯田徳治選手の他に、杉山光平選手、そして新人ながら全イニング出場を果たした佐々木信也選手。この3人がNPBシーズン最多試合出場記録保持者となっています。

1957年に国鉄スワローズへ移籍し、4番打者ながら40盗塁で初の盗塁王を獲得。1948年シーズンから1246試合連続試合出場は当時の最多記録で、以降22年間誰にも破られることはありませんでした。1963年限りで現役を引退。引退後はサンケイスワローズ、南海ホークスで監督を務めます。1981年に野球殿堂入り。

チャンスに滅法強い打撃、6年連続で40盗塁以上を記録する脚力、そして、ショートバウンドを巧みに処理する一塁守備。走攻守でプロ野球ファンを魅了した、今なお語り継がれるレジェンドです。


※情報は2月14日時点のものです。

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