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【防御率2.89/22勝9敗/200奪三振】大投手江川と「宿命の対決」を繰り広げ、磨き上げた「技」で強打者を手玉に取った名投手

  • 2024.2.18

【問題】1979年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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剛速球投手が強打者をねじ伏せていくのもプロ野球の見どころですが、直球がそれほど速くなくても、制球力を鍛えたり、打者がタイミングを取りにくいピッチングフォームを体得したりと、磨き上げた「技」で打者を手玉に取る投手も多くいますよね。

例えば、カラダを沈みこませ、一本足の状態で深くタメを作り、そのタメの時間を調整して相手打者のタイミングを外すようにして投げる投手もいました。

今回は、直球のスピードではなく、卓越した「技」で強打者を手玉に取った投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1971年にドラフト6位で指名され、プロ球団入りしました。

・2年目から一軍に定着し、44試合に登板します。

・1976年、1977年シーズンに18勝をマーク。

・1979年シーズンに自己最多となる22勝を挙げ、2度目の沢村賞を獲得しました。

正解は…

小林繁選手でした!

こちらは、1979年シーズンの成績です。

鳥取県立由良育英高等学校から、社会人野球チームの神戸大丸を経て、1971年にドラフト6位で指名され、読売ジャイアンツに入団しました。年目から一軍に定着し、44試合に登板。1976年、1977年シーズンに18勝をマークし、1977年に沢村賞を獲得します。

1978年オフに阪神タイガースへ移籍すると、読売ジャイアンツキラーとなり、8連勝をマーク。動燃は自己最多となる22勝を挙げ、2度目の沢村賞に輝きます。1983年のシーズン前に、「15勝できなかったらユニフォームを脱ぐ」と宣言しますが、同年は13勝に終わり、有言実行で現役を引退しました。

また、1980年8月16日、巨人対阪神の17回戦が行われました。報道によれば、当日の「A席」は2100円から4万円まで値が跳ね上がり、この試合は、巨人の江川選手と阪神の小林選手といった因縁の対決が注目を集めました。そして、当時の伝統の一戦には「宿命の対決」というプレミアが付いて会場は大盛り上がりでした。

膝を地面につくほどの低い体制から独特のサイドスローで投げるシンカーボールは、その切れ味が鋭く、打者を苦しめました。また、強靭な足腰をバネにして、打者の内角に厳しく全力投球する姿は、「細腕エース」として親しまれ、また「スパイダーマン」とも呼ばれました。

プロ通算11年間で139勝、17セーブ、防御率3.18。沢村賞2回、最多勝利1回、ベストナイン2回。引退後は野球解説者や指導者として活動。1本足でタメを作り、打者のタイミングを外して投げる、昭和時代を代表する技巧派名ピッチャーです。

実働は11年と長くはないものの、成績や獲得タイトル、トレード騒動など、大きく日本のプロ野球を盛り上げた功労者でもありました。


※情報は2月8日時点のものです。

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