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【防御率2.06/26勝8敗/150奪三振】ルーキーイヤーから26勝を挙げ、第1回日本シリーズ優勝に貢献した豪速球投手

  • 2024.2.16

【問題】1950年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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並み居る強打者たちを、投手がストレートの球威でねじ伏せていくのもプロ野球の醍醐味の一つですよね。回転のきいた直球は打者の手元でホップするように見えるとも言われ、これを攻略するのは容易ではありません。

そんな剛速球投手の先駆けとも言える選手をご存知でしょうか?愛称は「火の玉投手」。小躍りするような投球フォームで、テンポよく快速球を投げ込みました。

というわけで今回は、ルーキーイヤーから26勝を挙げた快速球投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・大分県立大分商業高等学校から、1950年にプロ球団入りしました。

・1年目から先発として起用され、26勝、防御率.206をマークし、最多勝利、最優秀防御率、新人王のタイトルを獲得。

・1954年に22勝、1956年に24勝をマーク。

・その快速球から「和製火の玉投手」と呼ばれました。

正解は…

荒巻淳選手でした!

こちらは、1950年シーズンの成績です。

大分県立大分商業高等学校から、1950年に毎日オリオンズに入団しました。1年目から先発として起用され、26勝、防御率.206をマークし、最多勝利、最優秀防御率、新人王のタイトルを獲得。チームのパ・リーグ初代優勝と第1回日本シリーズ制覇に大きく貢献しました。

アマチュア球界で「和製火の玉投手」として知られ、当時大活躍中だった大リーグの剛速球投手ボブ・フェラー選手に匹敵する投球を見せ、打者やファンを驚かせました。プロ入り後も剛速球で注目を浴び、打者を翻弄する驚異的なエピソードが印象的です。

1953年シーズンに17勝、1954年に22勝、1956年に24勝をマーク。1959年からは主将を務め、救援に回って17勝を挙げます。

小躍りするような投球フォームが特徴で、速いテンポで快速球は小気味よく低めに決めるとともに、落差の大きいカーブも操りました。また、日本で最初にチェンジアップを駆使した国際派としても知られています。1962年に現役を引退。1985年に野球殿堂入りしました。


※情報は2月8日時点のものです。

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