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【打率.344/170安打/66打点】55年間塗り替えられていない"史上最年少"2000本安打記録を持つ「初代・安打製造機」

  • 2024.2.19

【問題】1960年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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アベレージヒッターは、広角に打ち分けるスタイルが一般的。引っ張ってヒットにすることもあれば、流し打ちで外野前に球を運ぶこともあります。

これに対して、フルスイングの「引っ張り打法」で安打を積み重ねた、通算1000安打、2000安打の最年少記録を保持する稀代のアベレージヒッターがいたことをご存知でしょうか?

今回は、「安打製造機」の異名を最初に取った選手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・早稲田実業学校高等部から、1966年にプロ球団入りしました。

・1年目から1塁手のレギュラーに定着し、新人王に輝きます。

・1960年、1966年シーズンに首位打者を獲得。

・「安打製造機」の異名を最初に取った選手です。

正解は…

榎本喜八選手でした!

こちらは、1960年シーズンの成績です。

早稲田実業学校高等部から、1955年に毎日オリオンズに入団しました。ルーキーイヤーから1塁の定位置をつかみ、打率、本塁打、打点部門でリーグ10位以内に入り、新人王を獲得します。

1960年シーズンは、打率.344で首位打者に輝きます。1966年シーズンにはリーグ最多の167安打を放ち、打率.351を記録。2度目の首位打者を獲得します。1968年シーズンには、史上最年少(31歳7ヶ月)で2000安打を達成し、「安打製造機」の先駆けとなりました。
NPBのみの記録としては、今も史上最年少2000本安打記録は塗り替えられていません。

そして、2度目の首位打者を争ったのが、3000本安打を記録している張本勲選手。尊敬すべき先輩でありライバルの1人として球界に君臨していた彼に「私は7回首位打者をとっているが、一騎打ちで負けたのは、榎本さんだけ。左打者、右打者で(史上最高のバッター)5、6人ずつピックアップするなら、榎本さんがもっとも理想だ」と言わせるほどの天才バッターでした。

1972年に西鉄ライオンズに移籍し、同年限りで現役を引退。左右に打ち分ける「スプレーヒッター」ではなく、グリップエンド一杯を持ちフルスイングする「プルヒッター」で、軸がぶれない美しい打撃フォームが特徴でした。

大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の中心打者として通算2314安打を放ち、2016年に「伝説のバットマン」として野球殿堂入り。


※情報は2月14日時点のものです。

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