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【打率.355/51本塁打/161打点】"偽名"を使ってまでプロ野球選手になり「3部門でNPB歴代最高記録」を持つ怪物スラッガー

  • 2024.2.17

【問題】1950年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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王貞治選手が用いた「一本足打法」や、落合博満選手の「神主打法」、イチロー選手の「振り子打法」など、特徴的なバッティングフォームで球史に残る成績を収める選手がいます。

では、腰の回転を使い、ダウンスイングで打つ「ゴルフスイング打法」で名を馳せたレジェンドをご存知でしょうか?

今回は、ゴルフスイング打法を武器とした名スラッガーをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・飯塚商業高等学校を経て、八幡製鉄所から、1942年にプロ球団入りしました。

・1948年ごろに、腰の回転を利用したゴルフスイング打法を習得。

・1950年シーズンに51本塁打、161打点で二冠王を獲得しました。

・愛称は「和製ディマジオ」。

正解は…

小鶴誠選手でした!

こちらは、1950年シーズンの成績です。

飯塚商業高等学校から社会人野球チームの八幡製鉄所を経て、1942年に名古屋軍に入団しました。当時は第二次世界大戦中。八幡製鉄は軍需工場となっており、機密保持のために転職が認められていなかったため、偽名「飯塚誠」を使ってプロ野球の名古屋(現中日ドラゴンズ)に入団しました。国民一丸となった時期でありながら、愛国心を疑われ、家族まで非難を受けてしまう懸念から、素性を隠してまで野球を続けることを選びました。

1年目からレギュラーとして活躍しますが、翌1943年オフに応召のため退団。1946年に中部日本軍に復帰した後、急映フライヤーズに移籍します。この間に、腰の回転を使い、ダウンスイングで打つゴルフスイング打法を習得。当時は腕力で打つ選手か多かったため、腰の回転を利用したスムーズなスイングは目を引きました。1949年シーズンに打率.361で首位打者を獲得。翌1950年シーズンには、51本塁打、161打点で二冠王に輝きます。

この記録は日本プロ野球初のシーズン50本塁打到達で、161打点、143得点、376塁打は現在でも日本記録となっています。

美しい打撃フォームが特徴で、風貌もMLBのジョー・ディマジオ選手に似ていたことから、「和製ディマジオ」と呼ばれ親しまれた、球史に残る名スラッガーです。


※情報は2月14日時点のものです。

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