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【打率.364/35本塁打/104打点】落合が打撃の参考にした名打者…5つの球団を渡り歩き2000本安打を達成

  • 2024.2.13

【問題】1979年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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現代のプロ野球では様々な数字で選手を評価しますが、好打者の一つの目安となるのが打率3割。好不調の波はあっても、シーズンを通して、コンスタントにヒットを打ち続けた選手が達成できる数字です。

打率3割を超えるだけでなく、首位打者を獲得するとなれば、実現のハードルがさらに高くなるのは言うまでもありません。並み居る強打者を抑え首位打者に輝くには、インコースをはじめ、難しいコースもヒットにできる卓越したバッティング技術が求められるのです。

今回は、2度の首位打者に輝いたレジェンドをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・PL学園高等学校から社会人チームの松下電器を経て、1969年にプロ球団入り。

・2年目の1970年シーズンは、35試合に出場し、打率.333をマーク。

・1973年シーズンに打率.337で、1979年に打率.364で首位打者に輝きます。

・歴代2位の105犠飛を記録。

正解は…

加藤秀司選手でした!

こちらは、1979年シーズンの成績です。

PL学園高等学校から社会人チームの松下電器を経て、1969年に阪急ブレーブスに入団しました。2年目の1970年シーズンは、35試合の出場ながら、打率.333をマーク。翌1971年シーズンは、三番・一塁に定着し、打率.321をマークしました。

1973年シーズンに打率.337で首位打者に輝き、リーグを代表する左打者に。この年から5年連続で打率3割を記録し、この間、1975年、1976年シーズンに打点王、1975年シーズンはMVPにも輝きます。1979年シーズンに打率.364で2度目の首位打者を獲得。3度目の打点王も獲得しました。

難球でも、下半身の強さと粘りで犠飛にする高いバッティング技術を持ち、歴代2位の105犠飛を記録。1987年シーズンには2000安打を達成します。6試合連続二塁打、1試合3二塁打5回の記録を持つなど、「二塁打男」の異名を取りました。

1980年まで規定打数4,000打数に到達し、その時点での通算打率は.314でした。 シーズン打率でも3割打者は一流と言われている中で、通算打率も超え、さらに2000本安打を達成している選手は歴代12人。加藤選手もその偉業に届く目前でしたが、通算打率.297を記録し、現役を引退しました。

1970年代に活躍し、在阪パリーグ3球団+セリーグ2球団を渡り歩き、プロ野球通算で2055本の安打を記録した加藤選手は、阪急(現在のオリックス)の黄金時代を支えた左打ちの名選手です。

三冠王を3度獲得した落合博満さんがプロ入り当初に参考にした打者として、加藤さんの名前を上げるなど、卓越したバットコントロールには定評がありました。


※情報は2月4日時点のものです。

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