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【打率.337/25本塁打/91打点】史上初のセ・パ両リーグ首位打者を達成し、王貞治の三冠王を2度も阻止した闘将

  • 2024.2.15

【問題】1971年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

多くの強打者がしのぎを削るプロ野球界。バッティング技術を磨き上げ、安打を重ね続けるフィジカルとメンタルが求められますが、好打者の一つの目安となるのが、打率3割です。

無論、打率3割を超え、リーグトップの高打率、すなわち首位打者を獲得する選手はただ一人。打てば打つほど相手チームに研究されるなかで、コンスタントにヒットを打ち続けた選手だけに許された称号が首位打者なのです。

今回は、史上初のセ・パ両リーグで首位打者を獲得した伝説のアベレージヒッターをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・熊本県立熊本商業高等学校から社会人チームの日鉄二瀬を経て、1959年にプロ球団入り。

・1年目から全130試合に出場し、打率.281、15本塁打の好成績を残しました。

・1971年シーズンに、史上初のセ・パ両リーグで首位打者を獲得。

・背番号8を長く背負ったことから、「エイトマン」の愛称で親しまれました。

正解は…

江藤慎一選手でした!

こちらは、1965年シーズンの成績です。

熊本県立熊本商業高等学校から社会人チームの日鉄二瀬を経て、1959年に中日ドラゴンズに入団しました。1年目から全130試合に出場し、打率.281、15本塁打の好成績をマーク。1961年シーズンには初の20本塁打を記録し、ベストナインに選出されます。

また、江藤選手は1964年から世界のホームラン王である王貞治選手の三冠王を2度も阻止し、2年連続で首位打者に輝いたことで「特別な存在」と称されていた逸話があります。

1964年は東京オリンピックが開催された年で、戦後初の三冠王を目前にして9月になっても首位打者だった王貞治選手を追い上げ、ついには2厘差で差しきりました。翌年もケガに悩まされながらも連続してリーディングヒッターを獲得。

その後、1970年にロッテオリオンズに移籍し、1971年シーズンに首位打者に輝き、NPB史上初のセ・パ両リーグで首位打者を達成。1975年シーズンには通算2000安打を達成します。

背番号8を長く背負ったことから、愛称は「エイトマン」。また、闘志を感じる打撃フォームや豪快なスイング、一塁への気迫溢れるヘッドスライディングなど、全力を出し切るプレースタイルで、「闘将」と呼ばれました。


※情報は2月4日時点のものです。

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