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【打率.355/37本塁打/130打点】助っ人外国人初の三冠王を獲得したスラッガー…実は"登録名"は本名じゃなかった!?

  • 2024.2.11

【問題】1984年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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送りバントや堅実な走塁、キャッチャー主体の配球など、「ベースボール」とはまた一味違う緻密なゲーム展開は、日本プロ野球の大きな魅力と言えるでしょう。

そんな中、「助っ人」と呼ばれる外国人選手が期待通りの活躍を果たせないことも多いプロ野球ですが、その原因は、「ベースボール」と「野球」の違いにあるのかもしれません。それでも、日本の野球に見事にフィットした球史に残る名スラッガーがいました。

今回は、外国人選手として初の三冠王を獲得した伝説のバッターをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1983年に日本プロ球団入りしました。

・1年目に17本塁打を放ち、2年目の1984年シーズンに外国人選手として初の三冠王を獲得しました。

・柔らかいハンドリングの一塁守備で、ゴールデングラブ賞も2度受賞。

・前打者のホームランを迎えた際に脱臼をさせてしまったエピソードが有名です

正解は…

ブーマー・ウェルズ選手でした!

こちらは、1986年シーズンの成績です。

12歳で大人の草野球チームでプレーし、高校時代は野球以外にアメリカンフットボール、バスケットボールをプレー。1983年に阪急ブレーブスに入団しました。本名は、グレゴリー・デウェイン・ウェルズですが、巨体から放たれる豪快なホームランで「ブームを呼ぶ男」に、という期待を込めて、ニックネームの「ブーマー」を登録名にしました。

1年目は17本塁打でしたが、日本野球に慣れた2年目の1984年シーズンから、その才能が開花。打率.355、37本塁打、130打点で外国人選手では初の三冠王に輝き、阪急ブレーブスを優勝に導きます。

1989年には、門田光博選手がホームランを放ち、ホームで出迎えハイタッチをした際に、門田選手の腕が脱臼してしまったシーンは、今も野球ファンの記憶にある有名なシーンではないでしょうか。

巨体から想像されるのはパワフルな打撃ですが、器用さとすぐれた選球眼を持つ打撃の名手でした。柔らかいスイングが持ち味で、とりわけ、三振の少なさ、打率の高さは瞠目に値します。通算打率.317は、4000打数以上では落合博満選手を上回り、右打者の最高成績です。


※情報は2月4日時点のものです。

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