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【打率.339/44本塁打/129打点】セ・パ両リーグでの1000試合出場、1000安打を達成した屈指のスラッガー

  • 2024.2.4

【問題】1970年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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プロ野球において、多くの打者が一つの目標に掲げる1000安打。毎シーズン、コンスタントに結果を残し続けるバッティング技術はもちろん、ケガに強い身体作りや、試合に出場し続けるメンタル面の屈強さも求められます。

では、そんな1000本安打を、プロ野球史上初めてセ・パ両リーグで達成した選手をご存知でしょうか?単打だけではなく、2年連続本塁打王に輝いたこともある名スラッガーです。

今回は、セ・パ両リーグで偉業を達成したスラッガーをテーマにクイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・関西高等学校から社会人チームの丸井を経て、1965年にプロ球団入り。

・1年目から一軍で出場し、180打数ながら8本塁打を記録します。

・1970年シーズンに44本塁打、翌1971年シーズンは41本塁打で2年連続本塁打王を獲得

・1983年シーズンに、プロ野球史上初のセ・パ両リーグで1000安打を達成。

正解は…

大杉勝男選手でした!

こちらは、1970年シーズンの成績です。

関西高等学校から社会人チームの丸井を経て、1965年に東映フライヤーズに入団しました。1966年から一軍で出場し、186打数ながら8本塁打、打率.269を記録します。

また、大杉選手の類まれなる打撃力には有名な逸話が存在しています。きっかけは、ある夜の後楽園球場。大杉選手がプロ3年目の1967年に就任し、マンツーマンで指導に当たった飯島滋弥コーチが左中間スタンドに浮かんでいた月をさし、「あの月に向かって打ちなさい」とアドバイスをしたのです。それからは着々と成績を伸ばしていき、1970年シーズンに44本塁打、129打点で打撃2冠を達成。

翌1971年シーズンも41本塁打で2年連続本塁打王に輝きました。そして同シーズンの5月3日、ロッテ戦で世界記録となった5者連続本塁打の5人目の打者として本塁打を放ちました。1972シーズンは101打点で2度目の打点王を獲得と、打撃において屈指の成績を残しました。

1975年にヤクルトスワローズへ移籍した後、1983年シーズンに、プロ野球史上初のセ・パ両リーグで1000試合出場、1000安打を達成しました。

1983年限りで現役を引退し、1997年に野球殿堂入り。19年にわたり、球界屈指の強打者として活躍した大杉選手の主なタイトルは、本塁打王2回、打点王2回。通算成績は、2235試合、2228安打、486本塁打、1507打点、32盗塁、打率.287。


※情報は2月1日時点のものです。

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