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【防御率1.70/13 勝7敗/183奪三振】軟式出身、ドラフト外入団から殿堂入りを果たした昭和最後の沢村賞投手

  • 2024.2.6
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【問題】1988年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

先発、中継ぎ、セットアッパー、クローザー、さらにはオープナーなど、一口に投手と言っても、その役割や登板のタイミングはさまざま。役割が違えば、投球スタイルやゲームまでの調整方法も異なります。

それゆえ、先発投手として活躍した投手が、中継ぎ、クローザーとして大成できるかと言うと、その限りではありません。もちろん、中継ぎから先発に転向した場合も然りです。

今回は、先発、中継ぎ、抑えまで、何でもこなす万能投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・島根県立出雲高等学校から社会人の軟式野球部を経て、1977年にプロ入りしました。

・1979年シーズンはリーグ最多の58試合に登板。先発、中継ぎ、抑えと、何でもやれる万能投手に。

・1984年シーズンに先発に固定されると、1991年に抑えに転向するまでに、2桁勝利を4度達成しています。

・40歳を超えても140キロ台中盤を投げるタフネスぶりを発揮しました。

正解は…

大野豊選手でした!

こちらは、1988年シーズンの成績です。

島根県立出雲高等学校から社会人の軟式野球部を経て、1977年に広島東洋カープにドラフト外で入団しました。1978年シーズンは41試合、1979年シーズンはリーグ最多の58試合に登板するなど、獅子奮迅の活躍。先発、中継ぎ、抑えまでこなす万能投手となりました。

1982年シーズンはリリーフオンリーながら、2桁の10勝をマーク。1984年シーズンに先発に固定されると、1991年に抑えに転向するまでに、2桁勝利を4度達成しています。1988年シーズンには、防御率.170で最優秀防御率に輝き、沢村賞を受賞。1991年、1992年シーズンは最多セーブを記録します。

1995年シーズンには先発に戻り、1997年シーズンには41歳8か月で完封勝利。これはセ・リーグ最年長記録で、この年、2度目の最優秀防御率に輝きます。腰を極端に低くして、地面に踏ん張るように軸足を深く沈み込ませてタメを作る、独特の投球フォームで、数々の記録を打ち立て、1998年に引退。2013年に野球殿堂入りしたカープ一筋の史上最年長開幕投手です。


※情報は2月1日時点のものです。

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