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【防御率0.73/34勝/253奪三振】プロ野球史上初の完全試合を達成し、通算防御率1位を誇る伝説のピッチャー

  • 2024.1.29

【問題】1943年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

強打者がズラリと揃う日本プロ野球界。ヒットメーカーから長距離バッターまで、さまざまな特徴を持つ選手が名を連ねています。

ピッチャーにとって、そんな強打者達をピシャリと抑え、完封勝利を挙げるのは容易ではありません。ましてや、1人のランナーも許さない「完全試合」を達成する選手は極めて稀であり、長いプロ野球の歴史の中でもそう多くはありません。

そこで今回は、プロ野球史上初の完全試合を達成した投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・下関商業高等学校から明治大学を経て、1942年秋にプロ入り。

・明治大学のスター選手として、東京六大学野球で通算34勝を挙げ、鳴り物入りでプロ入りしました。

・1944年シーズンに34勝を挙げ、優勝に貢献。

・1950年に、日本プロ野球史上初の完全試合を達成。

正解は…

藤本英雄投手でした!

こちらは、1943年シーズンの成績です。

下関商業高等学校から明治大学を経て、1942年秋に読売ジャイアンツに入団しました。大学時代は、東京六大学野球で通算34勝を挙げ、エースとして2度の優勝に貢献。鳴り物入りでプロ入りします。

ルーキーイヤーの1942年シーズンに、いきなり10連勝、翌1943年シーズンに34勝を挙げ、投手5冠王を達成。この年記録した、防御率0.73、19完封は日本プロ野球記録です。1944年からは選手兼任監督となり、25歳での監督就任は、現在もプロ野球史上最年少就任記録となっています。

1947年に中日ドラゴンズに移籍しますが、翌年すぐに読売ジャイアンツに復帰。肩の故障により、外野手としてプレーしますが、その後投手に復帰。この時スライダーを取得し、そのスライダーを武器に、1950年シーズンに日本プロ野球史上初の完全試合を達成しました。

通算防御率、通算勝率は、歴代1位を誇ります。


※情報は1月26日時点のものです。

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