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【防御率1.66/27勝/270奪三振】「投げる精密機械」と呼ばれ、テスト生から300勝投手に成り上がったレジェンド

  • 2024.1.12

【問題】1962年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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イラストACを使用してTRILL作成

高校や大学、社会人リーグで活躍し、プロ野球入りを果たす選手が多いなか、テスト生として選手生活をスタートし、その後、球界を代表する選手に成長するのは稀なこと。ましてや、野球殿堂入りを果たすほどの名選手はそうそういません。

今回ご紹介する選手は、そんな偉業を成し遂げた名選手の一人です。そのすぐれた制球力から「投げる精密機械」と呼ばれ、NPB歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録しました。

今回は、テスト生から300勝投手に登りつめた稀代の名投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・兵庫県立高砂高等学校から、1953年にテスト生としてプロ野球入りしました。

・1953年シーズンに入ると、テスト生から二軍選手に昇格。8月に完投勝利を収め、一軍に昇格しました。

・1964年シーズンに30勝を挙げ、最多勝を獲得。

・抜群の制球力から「投げる精密機械」と呼ばれ、2001年に野球殿堂入りを果たしました。

正解は…

小山正明選手でした!

こちらは、1962年シーズンの成績です。

兵庫県立高砂高等学校から、1953年にテスト生として大阪タイガース(現阪神タイガース)に入団しました。1953年シーズンに入ると、テスト生から二軍選手に昇格し、同年8月の完投勝利が評価され、一軍に昇格。一軍に上がると、レギュラー陣の打撃投手を務め、打者陣の厳しい要求に応えることで、制球力に磨きがかかります。

1956年シーズンには17勝、1958年シーズンは24勝を挙げ、阪神タイガースのエースに。1962年には27勝を挙げ、沢村賞を受賞しました。1964年に東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に移籍すると、持ち玉のパームボールを駆使した打たせて取る投球で30勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得します。

1973年に現役を引退。引退後はさまざまな球団で投手コーチを歴任し、野球解説者としても活躍します。2001年に野球殿堂入り。「投げる精密機械」と称された制球力を武器に、テスト生から球史に残る名投手にのし上がった、伝説のピッチャーです。


※情報は1月9日時点のものです。

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