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「歴代最強だと思うスワローズのエース」ランキング!3位「石川雅規」、「金田正一」、2位「石井一久」を抑えた1位は?【プロ野球ファン100人に聞いた】

  • 2024.4.27
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出典:PIXTA

1950年1月25日に「国鉄スワローズ」として産声を上げた東京ヤクルトスワローズ。

国鉄スワローズから5回の名称変更を経て、2006年から現在の球団名になりました。通算でリーグ優勝9回、日本一6回を誇り、「玄人好みのチーム」としてプロ野球ファンに愛されています。

玄人が好むチームだけあり、これまでに名投手が数多く誕生していることも特徴で、多彩な変化球を駆使した打者の打ち気を外す投手や長い手足から豪速球を投げる投手、独特のフォームを活かして強打者を抑える投手、しなやかな腕の振りから高速スライダーを操る投手と、様々なタイプの投手がチームを牽引してきました。

そんな好投手が数多く存在する「スワローズのエース投手」の中で、「歴代最強」は誰なのか?今回は全国のプロ野球ファン100人にアンケートを実施して、「歴代最強だと思うスワローズのエース投手ランキング」を作成。その結果をご紹介します。前身となる球団に所属していた選手も対象です。また、在籍期間やリリーフなど役割は問いません。

また、「最強の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。

それでは投票結果を見てみましょう。

【同率3位】石川雅規(8票)

第3位に選ばれたのは今年44歳となった現在もなお第一線を続ける石川雅規投手です。

秋田商業高校で活躍後、東都リーグの強豪である青山学院大学に進学し、2年生からエースとして活躍。大学時代は通算で23勝を誇り、最高殊勲選手1回、最優秀投手3回、ベストナイン3回と輝かしい成績を収めました。

2001年に自由獲得枠でヤクルトに入団し、翌年の開幕ローテーション入りは逃したものの、1年目から12勝を挙げて秋田県出身のプロ野球選手としては初となる新人王を受賞します。同年以降5年連続で二桁勝利を挙げ、チームに欠かせない存在となりました。

ファンからは「カツオ」の愛称で親しまれていて、ストレートの平均球速は130キロ台前半~中盤とスピードはありませんが、スローカーブである「カツオカーブ」をはじめ、多彩な変化球で打たせてとるピッチングが持ち味で、速球派の投手が多いプロ野球界では貴重な技巧派の投手です。

1年目から22年連続で白星を挙げており、そのうち二桁勝利は11度も達成しています。167cm73cmと決して恵まれた体格ではありませんが、タフさと類稀な投球術を武器に打者を抑える姿は名実ともに「小さな大投手」。通算勝利数は185勝で、200勝まであと15勝に迫っています。今シーズン中の達成は厳しいかもしれませんが、一つずつ白星を重ねて偉業に向かってほしいヤクルトの名投手です。

やはり、長くチームに貢献していることを考えたら石川雅規投手だと思います。小柄ながら、制球力を駆使して抑える投球は神技だと思います。フィールディングも上手く、投手のお手本になる存在です。(42歳・男性)
プロ野球選手とは思えない小柄なピッチャーなのに、他球団の強打者をひょいひょいと打ち取る姿に意外性を感じました。また、小柄なので長く現役ではいられないのかもと思っていましたが、40歳を超えた今でも現役で投げ続けていることを尊敬しています。(55歳・女性)
球速は、はっきりいって最近の選手のように早かったりするわけじゃない、地味だがそれでも勝てる凄みコントロールがピカイチで良いファーボールの少なさがそれを物語っている、そういった良さが魅力的(30歳・男性)

【同率3位】金田正一(8票)

同率3位に「カネやん」の愛称で知られ、"プロ野球史上唯一となる400勝"の偉業を達成した金田正一投手が入りました。

高校時代は豪速球と縦に大きく割れるカーブを武器に活躍していましたが、3年夏の県予選敗退後に高校を中退し、国鉄スワローズに入団します。

全国区の存在ではなかったものの、184cm73kgの長身細身から投げられるスピードボールを武器にルーキーイヤーから8勝を挙げる活躍を見せると、翌2年目には22勝21敗にくわえて、シーズン最多となる350イニング投球と233奪三振を記録。その後も1955年には400イニングで350奪三振、その3年後には31勝と規格外の成績を残し、通算で最多奪三振のタイトルを10回も獲得しました。1958年には、後楽園球場での開幕戦で当時ルーキーの長嶋茂雄選手と対戦し、この時は4打席連続三振を奪い圧倒していました。

ここまで活躍できた要因は何といっても直球の速さです。現役時代はスピードガンがありませんでしたが、最新の研究では155キロという分析も出ています。また、実際に対戦した打者の中には160キロ以上に感じたという選手もいました。

国鉄スワローズで15年間プレーした後は読売ジャイアンツへ移籍し、5年間で47勝をマークするなど最後まで奮闘を見せ、1969年10月10日の中日戦で前人未到となる400勝目の勝ち星を挙げています。

まだ弱小の国鉄スワローズ時代を中心に、前人未到の400勝を積み上げたから。もし最初から巨人に入っていたら、500は軽かったと思います。(49歳・男性)
400勝を挙げ特に長嶋茂雄のデビュー戦で長嶋を4打席4三振に仕留めたプレーがすごいと思うからです。(57歳・女性)
実績が異次元で今後破られないだろうという数字をたくさん持っている(54歳・男性)

【第2位】石井一久(23票)

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提供:産経新聞

第2位にランクインしたのは、速球派左腕として日米で活躍し、ヤクルトスワローズの"黄金時代"を築いた石井一久投手です。

高校時代から「10人に1人の左腕」として各球団から高い評価を受けていましたが、1991年のドラフト会議でヤクルトスワローズから単独1位指名を受けます。4年目には自身初の二桁となる13勝を挙げてチームの日本一に貢献し、在籍10年で通算78勝をマークします。

2002年にポスティングシステムを利用してロサンゼルス・ドジャースに移籍すると、開幕から6連勝をマークし、メジャー1年目から14勝と大活躍を見せました。2年目も9勝、3年目には13勝とMLBでも自身の実力が充分に通用することを示しています。

2006年に古巣の東京ヤクルトスワローズに復帰すると早速11勝をマークし、2年後には埼玉西武ライオンズに移籍します。この年も11勝を挙げ、新天地での1年目は全て結果を残していることがよく分かります。

最速156キロのストレートにくわえてスライダーやフォークが持ち球で、投球動作に入ってからボールを投げるまでが早いため、投球フォームには勢いがあります。奪三振率も高く、最多奪三振のタイトルを2度獲得していて、NPB通算では2153回1/3を投げて2115三振と投球イニングと同程度の三振を奪いました。

40歳まで現役を続け、通算の勝利数は日米通算で182勝を記録しています。試合中はマウンドで喜怒哀楽をほとんど見せない飄々とした姿が印象的でした。2021年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を3年間務めました。

剛腕サウスポーで、開幕戦や日本シリーズなど大舞台でめっぽう強いイメージがあるから。(32歳・男性)
日本シリーズでの強さ、1997年の優勝争いの際のノーヒットノーランなど、大事な試合でいつも結果を残していたからです。(34歳・男性)
150㎞を超えるストレートとスライダーで攻める速球派左腕。表情の変化があまり無く強心臓なエース。野球がそんな好きじゃ無いのに通算182勝の記録をもつ天然な天才。四死球は多いのに奪三振率は高い。スライダーと言うかスラーブの切れが半端ない。(36歳・男性)
現役時代は、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献し、その後メジャーリーグでも、投げている。通算200勝の手前で引退してしまったが、先発投手として非常に目立っていた選手だった。取締役GMや、監督をしていたので、こちらの方でも、目立っていたように思う。(31歳・男性)

【第1位】伊藤智仁(26票)

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提供:産経新聞

第1位に輝いたのは、"伝家の宝刀・高速スライダー"を武器に数多の強打者を震え上がらせた伊藤智仁投手です。

1992年のドラフト会議では3球団が競合し、抽選の末にヤクルトスワローズが交渉権を獲得することとなり、1位指名で入団します。当時、野村克也監督が伊藤投手の才能に強く惚れ込んだため、獲得に至ったという経緯があります。

1年目は、前半戦だけで7勝を挙げる圧巻の活躍をします。同年にプロ入りした松井秀喜選手をはじめ並み居る強打者から高速スライダーで次々に三振を奪い、防御率0.91という文句なしの成績で新人王を獲得しました。また、記録以上に記憶に残るのが6月9日の対読売ジャイアンツ戦で、途中出場の篠塚和典選手にサヨナラホームランを浴びて敗戦投手となった試合です。負け投手にはなったものの、セ・リーグタイ記録となる16個の三振を奪い、名実ともに名投手の仲間入りを果たしました。

1997年には7勝19セーブと完全復活を果たして、カムバック賞を受賞すると、翌年以降も1998年が6勝、1999年と2000年は8勝を挙げ、先発・中継ぎ・抑えとフル回転の働きを見せました。

右腕を大きくしならせた躍動感のあるフォームから投げられる必殺の高速スライダーは、打者の手元までストレートと変わらない軌道をたどり、最後に大きくスライドします。平均して80センチ、調子の良い時は何と1メートルも直角に曲がり、女房役を務めていた名捕手の古田敦也選手でさえ最初は捕球できないほどの鋭さでした。

引退後は投手コーチとして各球団を渡り歩きますが、2021年から古巣である東京ヤクルトスワローズに復帰し、一軍投手コーチに抜擢されました。若手の育成に励むとともにチームのリーグ連覇にも大きく貢献しているヤクルトスワローズのレジェンドです。

恐らく歴代でも最高峰の高速スライダーを投げていたと思いますし、調子が良い時は全く打たれる気配がない素晴らしい投手だったと思います。ただそれと引き換えに肩の故障で実働が短かったのが残念でした。(39歳・男性)
プロ野球が一番盛り上がっていた頃の開幕直後に活躍していた覚えがあります。今とはペナントレースの注目度も桁違いの中、見たことのないスライダーの曲がりをブラウン管越しに見ていました。一生誰も打てないのではと思ったほど素晴らしい投手でした。(48歳・男性)
今では当たり前の高速スライダー第一人者。ベースの隅から隅まで曲がるあの球は脳裏に焼き付いています。古田とのバッテリーも最高でした。(51歳・男性)
歴代最強のスライダー。記録的に上の選手はいるが記憶に残る投手。(34歳・男性)
稼働期間は短いですが、あの高速スライダーは天下一品だったと思います。是非メジャーリーグで活躍している姿を見て見たかった投手です。あの野村監督が「稲生和久と伊藤智仁がプロ野球史上最高の投手」と評価しているように当時は唯一無二の存在だったと思います。さらに古田捕手をしても球界最高の投手と言わしめるところが最強のエースの所以だと思います。(42歳・男性)

4位以下の選手とコメント

小川泰弘(6票)

2013年に、新人王・最多勝利・最優秀勝率と優れた成績を残していて、近年の防御率も高いです。(48歳・女性)

松岡弘(6票)

松岡弘で印象に残っていることは球の速さです。スピードガンのない時代でしたが、もし球速を測っていたらかなり早い数字が出たのではないかと思います。(66歳・男性)

高津臣吾(5票)

抑えのエース、彼が出て来ると点を取るのは難しかった。(56歳・男性)

大西広樹(4票)

高い防御率を叶えるコントロールと投球の力強さがある。打者が打ちにくい精度の高い配給も好ましいから(34歳・男性)

館山昌平(4票)

打てそうで打てない。サイドスロー気味の変則的な投げ方は印象的でした。成績も安定していてエースにふさわしい投手でした!(28歳・男性)

結果はこちら

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TRILL作成
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TRiLL作成

アンケートの結果はこちらです。伊藤智仁投手が1位に輝きました。現役選手は石川雅規投手と小川泰弘投手がランクインしており、ヤクルトスワローズが多くの名投手を生み出しているのがわかります。ヤクルトファンのみならず、プロ野球ファンの記憶に残る名投手がランクインしています。

30代~40代の回答者が多く、1980年代~2000年代に活躍した選手が多くランクインしています。金田正一投手や松岡弘投手がランクしていることから、50代~60代の回答者も多く見受けられました。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査対象:全国の20代~60代
有効回答数:100

※記載している回答は原文ママ

※2024年4月25日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「投手」で統一しています。

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