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【4択クイズ】中日のレジェンドのうち在籍期間が 「一番長い」選手は誰?

  • 2024.4.28

【問題】次のうち、中日の在籍期間が「一番長い」選手は誰?

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ヒント…

・1960年に入団。代走で出場した試合でプロ初打席初本塁打を放ちました。

・正解の選手の在籍期間は21年です。

・中日ドラゴンズの生え抜き選手として初となる通算2000安打達成打者です。

・愛称は、「二代目ミスタードラゴンズ」

正解は...

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高木守道選手です!

県立岐阜商業高等学校に入学すると、1957年6月に当時立教大学の4年生で、東京六大学野球の大スターとして知られる長嶋茂雄選手がコーチとして訪れたのです。長嶋選手は、当時1年生だった高木の練習に注目し、当時の部長に高木選手をレギュラーに推薦したと言われています。その結果、レギュラーとして二塁手のポジションを獲得し、1年生の夏の大会から甲子園に出場することとなり、3年春のセンバツでは準優勝を決めました。

1960年に中日ドラゴンズに入団し、5月に一軍デビューを果たし、初打席で初本塁打を放ちました。1963年シーズンからは二塁のレギュラーに定着し、50盗塁で盗塁王を獲得するとともにレギュラーの座を確立しました。

1965年には打率.302、44盗塁でまたも盗塁王に輝き、1974年には打率.276、15本塁打、47打点、14盗塁を決め、中日の20年ぶりのリーグ優勝に貢献します。また、同年の6月12日から14日にかけて、3試合で4打数連続本塁打の日本記録を達成するという偉業を成し遂げます。

そして1978年シーズン。4月5日の広島戦では、中日ドラゴンズの生え抜き選手として初の通算2000安打を達成します。

1980年に現役を引退した後はコーチ、二軍監督を務め、1992年から一軍監督に就任しました。21年もの間、中日ドラゴンズ一筋で活躍し、西沢道夫選手に次ぐ「二代目ミスタードラゴンズ」と呼ばれ親しまれたレジェンド。名人芸の「バックトス」は、今なお語り継がれ、2006年には2000本安打などの功績で殿堂入りを果たしています。

歴代屈指の名二塁手としても知られていて、愛称の「いぶし銀」の通り派手さはなかったものの、走攻守の能力に優れ、特に華麗かつ堅実な守備が特徴で、「プロ野球史上最高の二塁手」と称されることとなりました。通算成績は、2179試合で11477守備機会、5237刺殺、5866捕殺、1373併殺はすべて二塁手としての記録です。美しい打撃フォームとパンチ力も兼ね備えた選手でした。


※情報は4月26日時点のものです。

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