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【打率.316/本塁打42/打点108】スラッガーの代名詞となった"背番号"を造った名門の4番

  • 2024.1.14
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【問題】2000年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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イラストACを使用してTRILL作成

数多くのスター選手がいるプロ野球界。才能溢れる選手がしのぎを削るなかで、出色の成績を残すのは容易ではありません。プロ野球入りすること自体が一流の証、と言っても過言ではないのです。

そんなプロ野球界において、球史に残る記録を打ち立てるとともに、その功績の大きさから、国民栄誉賞を受賞するほどの選手は滅多に現れません。もちろん、成績だけでなく、ひたむきに努力を続ける姿勢や、誰からも慕われる人間性を兼ね備えていなければ、国民栄誉賞は受賞できないでしょう。

今回は、1990年代から2000年代の球界を代表する、国民栄誉賞を受賞した名選手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1992年にドラフト1位で指名されました。

・1998年、2000年、2002年シーズンに本塁打王を獲得。

・2003年にMLBに移籍し、2012年に現役引退を発表。

・2013年に国民栄誉賞を受賞しました。

正解は…

松井秀喜選手でした!

こちらは、2000年シーズンの成績です。

星稜高等学校から、1992年にドラフト1位で指名され、読売ジャイアンツに入団しました。高校3年時の夏の甲子園では、5打席連続敬遠を受け、社会問題にまで発展。鳴り物入りでプロ野球入りを果たします。プロ入り4年目の1996年シーズンに、38本塁打を記録。22歳にして、本塁打王争いを演じました。

1998年シーズンには、34本塁打、100打点で、自身初となる本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。1999年シーズン、2000年シーズンに42本塁打をマークし、2002年には大台の50本塁打を記録します。

2003年にニューヨーク・ヤンキースに移籍。2009年シーズンにはワールド・シリーズに出場、持ち前の勝負強さを発揮し、ワールド・シリーズMVPを獲得しました。2012年に現役を引退。2013年に、長嶋茂雄さんとともに国民栄誉賞を受賞しました。

「ゴジラ松井」の愛称で親しまれ、松井秀喜さんが長年背負った「55」は、今やスラッガーの代名詞ともいえる背番号になり、巨人以外の球団でも期待される打者には、同背番号が与えられることも増えました。
また、星稜高校、巨人、ヤンキースと"名門"と呼ばれるチームで4番打者を努めるなど、球史に残る名スラッガーです。


※情報は1月9日時点のものです。

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