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【.301/14本塁打/40打点】足に"1億円の保険"が掛けられた!?国民栄誉賞を辞退した伝説の名選手

  • 2024.1.3
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【問題】1972年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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高い身体能力を持つプロ野球選手。足の速い選手は数多くいるため、盗塁王のタイトルを獲得するのは容易ではありません。もちろん、盗塁を成功させるためには、塁に出るための高いバッティング力も必要です。

俊足の打者が数多くいるなかで、盗塁王を一度ならず、13回も獲得し、「世界の盗塁王」と呼ばれた選手がいたことをご存知でしょうか?

というわけで、今回は、盗塁王をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・大鉄高等学校(現阪南大学高等学校)から松下電器を経て、1968年にドラフト7位でプロ入りしました。

・1970年シーズンにレギュラーに定着し、75盗塁で盗塁王を獲得。

・1972年には106盗塁の当時の世界記録をマークします。

・「世界の盗塁王」の異名を持ち、通算盗塁数およびシーズン盗塁数の日本記録保持者。

正解は…

福本豊選手でした!

こちらは、1972年シーズンの成績です。

大鉄高等学校(現阪南大学高等学校)から松下電器を経て、1968年にドラフト7位で阪急ブレーブス入団。2年目の1970年シーズンにレギュラーになると、その類まれな盗塁技術で75盗塁を記録し、盗塁王を獲得。1972年には106盗塁で当時の世界記録をマークし、MVPを受賞します。小柄ながら、徐々に長打力を身に着け、同年は14本塁打を放ちました。

その後も一番打者として活躍し、同期入団の山田久志選手、加藤秀司選手らと阪急ブレーブスの黄金期を支えました。1983年6月に、当時のMLB記録を上回る939盗塁を記録。9月には通算2000本安打を達成します。1984年シーズンに通算1000盗塁を達成。1988年に現役を引退しました。

通算盗塁数1065は、当時の世界記録であり、今なお日本記録。ライバル投手たちを徹底的に研究し、時に8ミリビデオも使い、背中のシワの寄り方までチェックして、投手のクセを見抜いたそうです。主なタイトルは、MVP1回、盗塁王13回。通算三塁打115本、通算初回先頭打者本塁打43本も日本記録です。

1972年には、球団がPRのため福本選手の足に1億円の保険を掛けたという逸話があり、福本選手が怪我をしてプレーできなくなった場合に球団に1億円が支払われるというものでした。

また、1983年に当時のMLB記録を上回る通算939盗塁を記録し、同年に国民栄誉賞を打診されるも「国民の模範になれる自身がない」という理由から受賞を辞退しました。


※情報は12月26日時点のものです。

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