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【4択クイズ】次の阪神のレジェンドのうち在籍期間が 「一番短かった」選手は誰?

  • 2024.1.11

【問題】次の4人のうち、阪神に在籍していた期間が一番短い選手は誰?

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ヒント...

・ミスタータイガースの愛称で親しまれました

・正解の選手の背番号は、永久欠番に指定されています

・在籍期間が一番短い選手は14年間です。

・2代目ミスタータイガースと称されている人物です。

正解は...

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村山実投手(14年間)でした!

今以上に、昔の阪神タイガースの選手は、巨人に対するライバル心をむき出しにし、実際に巨人相手に優れたプレーを見せることが多い傾向にありました。その中でも、ミスター・タイガースとして広く認知され、打倒巨人、そして長嶋茂雄選手に対して熱く燃えたとして知られるのが村山投手です。

1956年、村山投手は関西大学2年の時に大学日本一に輝き、1959年にタイガースに入団しました。デビュー年では、早速エースの座を獲得し、新人ながら18勝10敗、防御率1.19という驚愕の成績を残し、最優秀防御率沢村栄治賞を獲得しました。

村山選手の闘志を燃やすきっかけとなったのが、1959年6月の天覧試合で起こった長嶋茂雄選手によるサヨナラホームランでした。それが原点となり、数々の死闘を繰り広げたことから、ファンは村山選手を「2代目ミスター・タイガース」と呼ぶようになりました。

村山実選手のフォームはエミール・ザトペックという天才ランナーの名前をもとに「ザトペック投法」と呼ばれ、その独特な雰囲気でのピッチングは多くのファンから支持を得ました。

そんな村山選手の通算成績は222勝147敗、防御率2.09で、歴代6位の成績を誇ります。獲得タイトルも凄まじく、「MVP1回、ベストナイン3回、最多勝2回、最優秀防御率3回、最高勝率1回、沢村栄治賞3回」という前代未聞のタイトル数を記録していました。

1972年には、現役を引退。そして1970~72、88~89年に阪神監督を務め、1993年には殿堂入りを果たしました。村山選手が背負った阪神タイガースの背番号11番は、永久欠番となっています。


情報は1月9日時点のものです。

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