1. トップ
  2. 【打率.297 本塁打35 打点88】NPB史上初の2球団で日本シリーズMVPを受賞したこの選手は誰?

【打率.297 本塁打35 打点88】NPB史上初の2球団で日本シリーズMVPを受賞したこの選手は誰?

  • 2023.12.15
  • 19115 views

【問題】1991年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

undefined
TRILL作成

ヒント

1980年にドラフト外で入団。

2つの球団で日本シリーズMVPを受賞した史上初の選手です。

2000試合目に2000本安打を達成しました。

2軍監督業を経て、現在は野球評論家です。

正解

秋山幸二選手でした!

こちらは1991年シーズンの成績です。

秋山選手は熊本県八代市の八代高校に進学し、投手として活躍していました。高校時代、1980年の夏に最初で最後の甲子園出場を目指し、決勝進出を果たし、後に西武ライオンズでチームメイトとなる、大津一洋伊東勤のバッテリーを擁する熊本工業高校と対戦しましたが惜しくも敗れてしまいました。その活躍を評価され、同年にドラフト外で西武ライオンズに入団しました。

プロ入り後、強肩と俊足を生かすために投手から内野手に転向しました。1985年にレギュラーに定着すると、同年は40本塁打、93打点、打率.252を記録しました。1987年には外野手に転向し、持ち前の強肩にさらなる磨きをかけました。

1991年、秋山選手は日本シリーズで4本塁打を放ち、その活躍により自身初の日本シリーズMVPを受賞しました。

1985年〜1993年まで9年連続で30本以上の本塁打を記録し、これは現在でもパ・リーグの最長記録となっています。

1993年のシーズンオフに、渡辺智男選手、内山智之選手とともに、3対3の大型トレードで福岡ダイエーホークスに移籍しました。

その後、福岡ダイエーホークスでリーグ制覇や日本一を達成し、1999年には福岡ダイエーホークスとして初のリーグ制覇に貢献。第1戦、第2戦で先頭打者ホームランを放つなどの活躍を見せ日本一に貢献しました。この年、西武時代の1991年にMVPを獲得してから、実に8年ぶりの日本シリーズMVPに輝きました。37歳での受賞は当時のNPB史上最高齢(現在の最年長記録は、2011年の40歳で獲得した小久保裕紀)であり、2つの異なる球団での受賞は史上初の快挙でした。

2000年、秋山選手は出場2000試合目で2000本安打を達成するというミレニアム記録を持っています。しかし、2001年からは腰痛の持病が影響し始め、2002年での引退を決意しました。

引退後は、2年間野球解説者として活動しました。2005年には2軍監督として、同年に球団名称が変わった福岡ソフトバンクホークスのユニフォームに袖を通し、2009年には1軍監督に就任し、2010年には球団7年ぶりのリーグ優勝へと導きました。2011年には2年連続のリーグ優勝とともに、福岡ソフトバンクホークスとして初の日本一監督に輝きました。

2014年には野球殿堂入りを果たしました。その年、最終戦でリーグ優勝を決め、2度目の日本一に輝いた後、監督を退任しました。


情報は12月13日時点のものです。

の記事をもっとみる