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【野球クイズ】規定打席到達はたった1回だけど、日本プロ野球への貢献度はNo.1!?

  • 2023.12.14
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【問題】1989年にこの成績を残した選手は誰?

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ヒント...

1983年にドラフト外でヤクルトスワローズに入団しました。

1989年には、自身初のタイトルであるゴールデングラブ賞を受賞しました。

プロ入り前までは右利きでしたが、プロ1年目の秋にスイッチヒッターへ転向しました。

選手人生は7年間と短いのも特徴です。

今年5月に監督業を退任し、現在は野球解説者をしています。

正解

栗山英樹選手でした!

栗山選手は創価高校を経て、教員を目指すため東京学芸大学に進学しました。大学では4年間、投手として活躍し、東京新大学リーグで通算25勝8敗を記録し、打撃でも1年秋に首位打者、2年春にMVPに輝き、4年間の通算打率は3割9分5厘と素晴らしい成績を残しました。

プロ入りのきっかけは、プロ野球名物キャスターである佐々木信也氏に勧められ、1983年にヤクルトスワローズへの入団テストを受け、ドラフト外で入団したことです。東京学芸大学からのプロ入りは初めてのケースで、学内では期待が高まりました。

プロ1年目の秋には左右両方の打席で打てるスイッチヒッターに転向し、3年目には107試合に出場して打率3割を達成しました。プロ入り当初は内野手も兼任していましたが、1988年からは外野専門となり、1989年には守備のベストナインともいわれたゴールデングラブ賞を獲得しています。この年は、唯一規定打席数に到達した節目の年でもあります。

そんな栗山選手は、2012年からプロ指導歴なし選手として異例の北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、1年目でパ・リーグ優勝を成し遂げました。2016年、5シーズン目には、来年から大リーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍の大谷翔平選手、主砲中田翔選手を擁し、球団をリーグ優勝に導き、さらに球団史上3回目となる日本一に輝く快挙を達成しました。

その後、2021年まで10年間にわたり日本ハムの監督を務め、その実績を積み重ねました。2022年にはWBC日本代表監督に就任し、自身が得意とする口説き文句で、 MLBで活躍するダルビッシュ有選手やラーズ・ヌートバー選手を説得し、侍ジャパンに引き入れました。日本は順調に勝ち進み、ついに迎えた決勝戦では、王者アメリカとの戦いを制し、栗山ジャパンは見事世界一に輝きました。

特に、今年の侍ジャパン加入に消極的だった、チーム最年長のダルビッシュ有選手を引き入れたことは自身にとっての快挙です。監督になった栗山選手は、栗山監督はダルビッシュ選手の選手成績よりも、彼のトレーニング方法やチームを牽引するリーダー的な観点に着目していました。その判断は見事に的中し、侍ジャパンの中でも屈指のシャイで有名な宇多川優希選手をなぜか投手会の〝主役〟に祭り上げ、「宇田川を囲む会」と称し、投手陣全員で焼き肉会食を開催したのです。会食では緊張をほぐしたり、ダルビッシュ選手のピッチング理論などをチームに惜しみなく伝え、選手たちにに大きく貢献しました。そのおかげもあって、宇多川選手をはじめとした投手陣の団結力が固く結ばれ、WBCでも世界一と称される日本投手陣を確立したのです。このエピソードの背景には、栗山選手の世界一奪還に対する強い思いが伝わってきますね。

そんな球界の腕利きである栗山選手の現在は、スポーツキャスターなどの経験から生まれたソフトで心地よい語り口で多方面で活躍しています。指導者として、大谷選手を二刀流として成長させた手腕やWBCでスター選手を率いるその巧み話術は、選手成績だけではわからなかった彼の魅力でしょう。

今や野球ファンでなくとも知っている球界の顔。今後の活躍にも期待が高まります。


※情報は12月12日時点のものです

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