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【.367 52本 146打点】もはやゲームの成績…!誰もが認める天才打者とは?

  • 2023.12.27
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TRILL作成

【問題】1985年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

多くの強打者がしのぎを削るプロ野球界。一人ひとりが「理想のバッティング」を追究し、日々トレーニングに励んでいます。

その結果、特徴的なバッティングフォーム、打法が生まれることもしばしば。好打者の打法は小中学生などに真似されることも多いですよね。

今回は、独特の打法でプロ野球史に残る成績を残したバッターをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1978年にドラフト3位で指名されました。

・3年目の1981年シーズンに首位打者に輝き、翌1982年には戦後最年少の三冠王に。

・1989年シーズンには史上初の両リーグ打点王、翌1990年シーズンには、史上初の両リーグ本塁打王を獲得。

・2004年から2011年まで監督を務め、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝を達成しました。

正解は…

落合博満選手でした!

こちらは、1985年シーズンの成績です。

秋田県立秋田工業高等学校から東洋大学に進学。その後、実業団チームの東芝府中を経て、1978年にドラフト3位でロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団しました。類まれなバットコントロールを武器に、バットを体の正面でゆったりと構える「神主打法」を体得。3年目の1981年シーズンに首位打者に輝き、翌1982年には戦後最年少の三冠王に。

1986年シーズンには2年連続、史上最多となる3度目の3冠王を獲得。1987年に中日ドラゴンズへ移籍し、1989年には史上初の両リーグ打点王、翌1990年シーズンには、史上初の両リーグ本塁打王に輝きます。

1994年に読売ジャイアンツへFA移籍。1997年に日本ハムファイターズへ移り、翌1998年シーズン限りで現役を引退。2004年から2011年まで中日ドラゴンズの監督を務め、常識にとらわれない「オレ流」采配で、4度のリーグ優勝に導きました。

イチロー選手をはじめ、元プロ野球選手たちがこぞって「天才打者」として落合さんの名前を出す程突出した打撃技術を誇っていました。


※情報は12月25日時点のものです。

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