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【防御率2.79/29勝/奪三振237】この投手は誰?「連続2桁勝利記録」と「自責点数」の日本記録を持つレジェンド

  • 2024.1.4
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【問題】1968年シーズンにこの成績を残した投手は誰?

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現代のプロ野球では、先発、中継ぎ、セットアッパー、クローザー、さらにはオープナーなど、投手の分業が進み、先発投手が完投勝利を挙げるのは難しくなりました。かつては完投できる投手が重宝されましたが、投手の体の負担を考えると、この潮流は必然的と言えるでしょう。

ただ、一人の投手が最後まで投げ切り、試合を締めくくる完投に、ある種の美学があったのも事実。黙々とボールを投げ込む底知れぬスタミナから、「ガソリンタンク」の異名が付いた投手もいました。

今回は、「ガソリンタンク」と呼ばれた大投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・鳥取県立境高等学校から1956年にプロ入り。

・1年目から51試合に登板、9勝をマークします。

・2年目には21勝、3年目には23勝、1968年には自己最多の29勝を記録。

・底知れぬスタミナに対し「ガソリンタンク」の異名が付きました。

正解は…

米田哲也投手でした!

こちらは、1968年シーズンの成績です。

鳥取県立境高等学校から1956年に阪急ブレーブスに入団。身長180cmと、当時としては大型の右腕として、1年目から51試合に登板、9勝(4完封)をマークします。2年目に21勝、3年目の58年シーズンに23勝を挙げ、現在でもパ・リーグ記録の11完封を記録。パ・リーグを代表する投手になりました。

左のエース・梶本隆夫との両輪は「ヨネカジ・コンビ」と呼ばれ、チームを牽引。1967年シーズンに初優勝すると、1969年シーズンまでV3を達成。1971~1972年シーズンも連覇します。1968年シーズンには、自己最多の29勝をマークしてMVPに。黙々と投げ込む底なしのスタミナに対して、「ガソリンタンク」の異名が付きました。

1975年シーズン途中で阪神タイガースへ、1977年には近鉄バファローズへ移籍し、歴代2位の350勝を達成、引退しました。引退後は、阪神タイガース、近鉄バファローズのコーチを歴任。2000年野球殿堂入り。通算成績949試合、350勝285敗2セーブ、防御率2.91。

米田さんは、19年連続2桁勝利、先発試合626、自責点数1659など、多くの試合に投げたからこそ、多くの日本記録を保持しています。


※情報は12月26日時点のものです。

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