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【防御率1.62/20勝/奪三振182】この投手は誰?2年連続20勝をマークした「平成の大エース」

  • 2023.12.26

【問題】1989年シーズンにこの成績を残した投手は誰?

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イラストACの素材を使用してTRILL作成 

プロ野球界には、その時代ごとに、大エースと呼ばれる投手がいます。先発投手の評価の指標である2桁勝利はもちろん、ここぞという時にチームに勝利をもたらすなど、チームの精神的支柱として、素晴らしい活躍をしますよね。

そんな称号をほしいままにした、“平成の大エース”と呼ばれた投手をご存知でしょうか?その堂々たる記録を見ているだけでも、いかに秀でた選手だったかがわかります。

今回は、歴史に残る大エースをテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの投手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1982年にドラフト1位で指名されました。

・藤本元司監督のアドバイスで才能を開花させ、サイドスロー投手として活躍。

・11試合連続完投勝利(3連続完封勝利を含む)の日本記録を達成。

・選手時代の愛称は、同音姓の芸能人・斎藤清六氏にちなんで、“セイロク”。

正解は…

斎藤雅樹投手でした!

こちらは、1989年シーズンの成績です。

川口市立川口高校進学校から、1982年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団しました。野球センスに恵まれ、野手転向の話もありましたが、藤田元司監督のアドバイスもあり、サイドスロー投手としてプレー。1985年シーズンに12勝を挙げます。

1989年に藤田元司氏が監督に復帰すると、指導によって才能が開花。11試合連続完投勝利(3連続完封勝利を含む)の日本記録を達成し、2年連続20勝を記録。“平成の大エース”“ミスター完投”などと呼ばれました。

その後も、桑田真澄投手、槇原寛己投手らと読売ジャイアンツの先発三本柱としてチームを牽引。1996年シーズンに通算150勝を達成します。2001年に現役を引退。引退後は読売ジャイアンツに残り、投手コーチを務めました。


※情報は12月25日時点のものです。

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