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【防御率1.75 / 18勝5敗 / 奪三振205】誰の成績でしょう?…マウンド姿は理想の"エース"像

  • 2023.12.5
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【問題】この成績を残した選手は誰?

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TRILLニュース作成

プロ野球界では、激しい競争と過密なスケジュールが選手たちに大きな負担をかけ、特に投手は肩や肘の故障リスクが高まります。しかし、予防策や進化した医療技術を駆使し、選手たちはトレーニングと健康管理に努め、故障を最小限に抑える取り組みが行われています。

そんな厳しい環境の中でも、自分と向き合い続け、トレーニングやリハビリを怠らずに結果を残している偉大な選手がプロ野球界には存在しています。

では、そんな過酷な状況の中、成績を残した選手は一体誰なのでしょうか?

ヒント…

1995年、ドラフト1位でプロ入りを果たしました。

2003年は開幕投手を務め、20勝をあげるなど日本一に貢献。

右肩の故障に悩まされた選手でもあります。

2023年からは、一軍投手コーチと四軍監督を務めています。

正解は…

斉藤和巳選手でした!

京都府出身の斉藤選手は、兄の影響で野球を始め、小学生の頃のポジションはキャッチャーでした。投手に転向したのは中学3年生の時で、高校生時代は甲子園出場の経験こそなかったものの、身長と潜在能力の高さを買われ、ドラフト1位で当時の福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)に入団。2003年には開幕投手を務め20勝をあげるなど、球団の日本一に貢献しました。

しかし、プロ1年目から肩の故障のために満足に投げることが出来ず、苦しい時間が続きました。3年目には肩の痛みがひどくなり、手術を受けなければなりませんでした。それでも、同じ時期に肩の手術を受けた小久保裕紀選手と自主トレーニングに励むことで、斉藤選手は身も心も大きく成長したのです。

2006年には、最優秀防御率、最多勝、最優秀投手、最多奪三振、ベストナイン、沢村賞など、数々のタイトルを獲得し、ケガに苦しめられながらも、“エース”と呼ばれるまでになりました。

2007年が最後の一軍登板となり、その後は2011年からリハビリコーチとして復帰を目指しましたが、2013年7月には引退を決意。2023年現在は、一軍投手コーチと四軍監督を務めるなど、後進の指導に取り組んでいます。

右肩のトラブルに悩まされながらも、エースとしての輝かしいキャリアを勝ち取った斉藤選手。その精神力や困難を乗り越える姿勢からは、多くの学びがありそうですね!


※記事内における情報は原稿執筆時のものになります

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