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巨人主砲の最大のライバル…セ界の"平成最強助っ人"でしょ!【野球クイズ】この成績を残したバッターは誰?

  • 2023.11.22

1934年12月、大日本東京野球倶楽部の創設により、プロ野球が日本で始まりました。プロ野球はこれまで約89年の歴史を積み重ね、その中で数多くの名選手が国内の球団で活躍してきました。

毎年、プロ野球界には新たな助っ人外国人選手が加わり、チームにとって大きな期待を背負ってプレーします。毎シーズン安定した成績を残し続ける選手や、期待に応えられずに帰国する選手など、アタリハズレと形容されるように厳しい世界を戦っています。

現代のプロ野球では、新しい統計指標であるWHIPやOPSが登場し、試合を楽しむ機会が増えました。

そこで今回は、以下の成績を見てどの助っ人外国人選手かを当てるクイズを出題します。

【問題】この成績を残した選手は誰?

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TRILL作成

ヒント…

1999年シーズン、来日1年目から44本塁打と大活躍。

オールスターにも出場し、本塁打王と最高出塁率(.469)のタイトルも獲得しました。

来日以来、スランプの年がなく、2004年まで好成績を挙げ続けました。

NPB在籍7年間で2度の本塁打王を獲得しました。

正解は…

ロベルト・ぺタジーニ選手でした!

1999年のシーズンにヤクルトスワローズに入団したペタジーニ選手は、来日1年目から好成績を記録しました。当時、巨人の4番打者として注目を集めていた松井秀喜選手との間で、白熱した本塁打王争いが繰り広げられました。

シーズン前半戦終了時点での成績は、打率3割2分4厘、そして26本塁打。後半戦では、松井秀喜との熱いタイトル争いが繰り広げられ、最終的に見事な44本塁打でホームラン王に輝きました。彼の派手なプレーは、野球ファンの記憶に鮮烈な瞬間を刻みました。

2000年のシーズンでは、本塁打王の座を松井秀喜選手に明け渡したペタジーニ選手(松井:42本、ペタジーニ:36本)。しかし、翌年の2001年には、自らが39本塁打を放ち(松井:36本)、2度目の本塁打王の栄冠に輝きました。この年、彼の活躍がチームのリーグ優勝と日本一に大いに貢献しました。

ペタジーニ選手は2003年に巨人に移籍し、2年間で合計63本塁打を記録。番長の異名で有名な清原和博とのポジション争いがあり、守備の課題もありました。2005年にメジャーリーグへ移籍し、ボストン・レッドソックスとシアトル・マリナーズを転々とし、2010年にソフトバンクに移籍しました。その年は、1年で81試合に出場して10本塁打。その後、39歳で現役引退。

メジャーでの成績はまずまずでしたが、日本プロ野球では7年間で打率.312、233本塁打という驚異的な成績を残し、2001年には「最優秀選手」にも選ばれたのが印象的です。


参考:日本プロ野球記録

※記事内における情報は原稿執筆時のものになります

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