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ヒコロヒー「直感的社会論」:ネタをこれからもやるかどうか、見極めようと決めた

  • 2026.11.9
ヒコロヒー 「直感的社会論」

ネタをこれからも
やるかどうか、
見極めようと決めた

単独ライブの時期につき、瀕死状態だったために原稿がまた遅れてしまった。私のせいではなく、単独ライブのせいである。誰も私に文句を言わないでほしい。

つまり今年の大単独も全公演が何とか終了した。

20歳でお笑いの世界に入ってから16年、思えばこの16年もの間、10月にある自分の誕生日をなんとなく手放しで喜び過ごせたことがなかったのは、毎年11月頃に自分の単独ライブがあるからで、10月の自分の誕生日は常に「単独前」という状態で過ごしてきており、ネタや幕間映像、グッズ類の締め切りに四苦八苦しながら常に一つ歳を重ねてきた。たかが16年なのか、されど16年なのか、初秋の頃を穏やかに心配事なく過ごすことができた経験の記憶はもう遥か遠く昔のことである。

そしてそんな今年も単独の劇場に選んだのは上野にある「スタァライト劇場」だった。旧名は「飛行船シアター」。せっかく改名したところ水を差すようで申し訳ないが、どっちにしろ変な名前である。ただ、私はこの劇場を随分と気に入っており、今回で三度目の同会場での開催だった。なぜ気に入っているか、大きくは三つだ。

一つ目は、ピン芸人のネタライブという点で劇場が横に長すぎず、縦にも長すぎず、おさまりがよく思えるのに500名ほど収容できるという、コンパクトなのにこんなに入るマザーズバッグてきなこと。

二つ目は、上野をベースポイントにして単独を打っている芸人が自分の知る限りはおらず、上野という町も昔ながらのトウキョウの玄関口っぽくて良いし、自分の好みである雑多な飲み屋も多いこと。

三つ目は、喫煙所が近いこと。喫煙者がこんなに嫌われる世の中、舞台から喫煙所までが息を止めていける距離なのである。私は公演の最中、ネタとネタの間の「残り2分です!」という転換の合間にダッシュで喫煙をしていた。ダッシュ喫煙可能劇場であった。

ピン芸人の単独は非常に孤独で、そんなのはもうとっくに知っていることなのに、やっぱりまだまだ孤独だった。私はいつからか「売れた芸人」になってしまった。賞レースで評価を勝ち取ることはないまま、売れることができてしまった。実はこの状態も凄まじいことなのだが、世間はそうは簡単に許してくれない。優勝している、とか、誰々のお墨付き、とか、自分が見ている範囲内で面白かったかどうか、とか、そんなところでジャッジされていくのは当然のことである。無論、何かで優勝しても息が長く続く芸人がいたりいなかったりするなかで、自分みたいな出所不明と思われている芸人が受け入れ続けていただいていることも奇跡的であり、その有り難みは分かっているつもりである。

しかし、やはり、正直なところ、私はネタを諦められていなかった。そもそもライブとバイトしかしていなかった時代に、若手ネタ番組「有田ジェネレーション」のオーディションに合格し、そこで毎週のように芸人同士でネタ対決をして勝ち上がってきていたという「有ジェネ出身者」なのだが、自分以外にあまり「有ジェネ出身者」と言っている芸人はいない。風紀が乱れている。みんなもっと言うべきである。同じ時期にジェラードンさんも有ジェネに出ており、切磋琢磨させていたいだ私にとっての戦友のような先輩である。あの時のジェラードンさんは三人だった。かみちぃさんは本当にナイスガイな頼れる兄貴で、西本さんはいつでも穏やかで面白くて、海野さんはよく後輩たちを連れて飲みに連れて行ってくれていた。そんなジェラードンさんが先日キングオブコントで優勝した。同じTBSなのだからもっと有ジェネ出身だと言うべきだ。しかしかみちぃさんも西本さんも優勝コメントで有ジェネのアの字も言わなかった。海野さんのウの字を言っていた。風紀が乱れている。ただ、やはり彼らは普通に考えて東京吉本出身である。それはそうだ。ジェラードンさんは何も悪くなかった。本当に優勝おめでとう、海野さんへのコメントも、お二人らしく優しくて、とてもクールだった。

そんな有ジェネも終わってしまった。地上波ではなく配信に移行するといって、有田さんと小峠さんがスタジオに閉じ込められて一日で24本撮りをさせられていた。あれは一体なんだったのだろうか。大先輩の二人が水も飲めず飯も食えず、ひたすら変な芸人と変なことをさせられていた。今思い出しても震えが止まらないほど恐ろしい光景である。くたくたになっても若手と共演する、どの一本も手を抜いていなかった御大と伯爵の姿を今でも鮮明に覚えている。

そんな自分はいつからか有ジェネだけではなく、さまざまなバラエティ番組、トーク番組にも呼んでいただけるようになり、初めて有ジェネに出演してから7年が経過している今、ドラマや映画、CMなどという社会的責任のあるものにも関わらせていただくようになった。先輩や同期に、汚い格好をしてチョット金を借してくれやとほとんど脅迫めいた様をお届けしていたあの自分が、で、ある。

ネタを作ることが好きだった。だけれど次第に劇場に立てる時間もなくなり、ネタをあの頃のように、傷つきながら、ムカつきながら、作ることも減っていた。それでも「試し卸し叩き」という自分のネタライブを隔月で打つことはやめなかった、否、やめられなかった、に、近い。

テレビタレントとして仕事があることだけでも十分有難いし凄いことである。お笑いの世界では「芸人」ではない「タレント」を少し下に見ているきらいがあるが、私はあんまりそういう目線はどうでもいいなと思っていたし、肩書きがなんであろうと面白い人はいるし面白くない人もいる。肩書きが「芸人」でもサラリーマンのような人はいるし、肩書きが「サラリーマン」でもロックンローラーみたいな人もいるだろう。

自分は「芸人」として、一生に一度でも「売れる」ことのできたこの芸人人生に、もう悔いはない。ネタを作ることは好きだし、コントの設定を作ることも、漫談の調子を変えることも、ボケを考えることも、好きだけれど、賞レースにおいては評価らしい評価をしてもらえることはなく(とはいえ毎年準決勝までいっていたこともとても凄いことなのだし、一度でもファイナリストになったことのある経験もとても凄いことなのだが)、世間さまを納得させられることはないまま「売れた芸人」になったという気持ちがどこかにあった。なにか悔しかったのでネタは作り続けていたし、どのくらいの方が知ってくださっているかは分からないが、ネタ番組にも呼んでいただいているが、ただ、自分の中で、この執着について一度考え直してみたかった。これから先「芸人」ではなく「タレント」と呼ばれても、それはそれで誇らしいし、さんまさんもたけしさんも立派にタレント業を遂行してきていたではないか。

そうして今回の単独公演で、ネタをこれからもやるかどうか、最後にするかどうかを見極めようと決めた。だから今回はとてつもなく必死だった。そもそも、ただ単独をやる、ネタもできますよ発表会のような、そういうことがしたいと思ったことは一度もなく、芸人の先輩や同期、後輩たちが見に来てくれるなかでネタがおもんなくなったと思われたくなかったし、やっぱり自分にしかないものを作れないとあかんやろと、いつも思っていることではあるが、いつも以上に、例年以上に、自分で自分に凄んでいた。

新しいことに挑戦して、それがスベるかウケるか分からないけれど、新しいことを見つけてきっちりやらないと意味がない、おい意味ないぞ、そこで考えるの辞めてもうてええんか、そんなん意味ないやろ、と、右半身の自分が左半身の自分を殴る。もう今日は帰って寝たらどうやと左半身の自分が提案をしても、右半身の自分が、おうおう舐めたもんやな、忙しいですもんね、明日もお仕事ですもんね、お前はCMとかやって稼いでるか知らんけど、えらいお笑い舐めた態度やなお前コラ、と、何度も自分を殴りつけるような日々だった。

自分より面白いネタをやる人はいくらでもいる、なんなら無料でいくらでも見られる、そんな時代のなかで、劇場まで来てくださること、自分の芸を、ネタを、コントを、見ていただくということ、そこに、右半身に暴力をふるわれながら、青タンを作り続けながら、白目を剥くくらい向き合い続ける必要があった。

そしてやるだけやってみてダメならネタはきっちり廃業、わしは別の方向で一流になっていくことを目指すのだと、妙な腹のくくり方をしていた。ネタをやっていなくても面白いことを証明し続けている人たちもいるのだから、そんな人たちといまさら戦うことになるのは大変だろうけど、きっとそれしか残されている道はないだろうと、どっちに転んでも、やれることをやるしかないと奥歯を噛む日々だった。

そうして、今年も、必死に必死にネタを作っていた。それに加えて、ともすれば人生で最後のコントになるかもしれないと思いながら、だけれどこれが最後になりませんようにとも思いながら、とにかく必死であった。

繰り返しになるが、ピン芸人の単独は本当に孤独なのである。考え、生み出し、演り、評価を引き受けるのは、私だけである。けれども、気がつけば周りに支えてくれるスタッフや仲間がいてくれているようになっていた。さまざまなことを引き受けることは自分の責任ではあるけれど、それぞれの班でサポートをしてくれる周囲に出会え、気がつけばとてつもなく恵まれている環境になっていた。

そして全公演が終わった今、今回で最後になっても良いと思って制作していたのに、今回できなかったこと、反省点、次にやりたいことが、むくむくと、これまで以上に、湧いてきてしまった。

とてつもなく苦しいが、面倒くさいが、鬱陶しいが、やはり、ネタを作り、舞台でネタをやり、小屋がはねることは、全てが吹き飛んでしまうちからを持つ、とてつもなく幸せなことだった。

くそ、やめられへんのかい、とも、思っているが、恥ずかしながら、詰まるところ、ネタが好きなのだろうと思う。どうしてこんなに頑張りたいのか、頑張ってしまうのか、もう自分でもよくわからない。自分で考えた長台詞に苦戦して、なんなんやこの台詞は!キエー!と発狂している時、周囲から(お前が考えたんやろ)という目で見られており、一体わしは何をしよんや、と、我にかえってしまうこともしばしばである。誰かに評価を受けたり受けなかったりしながらも、自分のなかで新しいことを見つけ、挑戦し、作っていくことが、それは誰かに評価されるためのものでなく、面白いものを作りたいという初期衝動のままである気がする。そして、単純なそこに気がつけたこと、今回はクドくてしつこくて面白いものを作れたという自信も少しあるが、それと同じくらい、面白いものを作り続けたいというところに立ち帰れたことが、今回、公演を打って良かったこと、で、あった。

とはいえ芸人とはお客さまが来てくれなくなれば生存することもできない生き物でもある。今は有難いことに、これは自慢させていただくことだが、二千人分のチケットはいつも即完になる。今年は公演数を増やしたが、有難く即完であった。

自分の舞台がつまらないと思われれば、即完はかなわなくなっていくのだろう。そんなことはもうとっくに知っている。だから面白くあり続けなければならないし、面白いものを作り続けなければ、左半身と右半身で分裂を繰り返しながら自分にしかできないものに向き合い続けなければ、あっというまにお客さまは来なくなる。人気商売、なんて簡単な言葉で形容されることもあるが、人気があっても歌がへたな人のコンサートに人はわざわざ行かないように、人気がなくても歌を聴きたいと思わせられ続ける人のコンサートにはいつも人が集まるように、やっぱり、人は人を見て、感じて、自身の次の行動を選ぶのである。

そうしていつまで多くの人の前で、自分が舞台に立てるかはわからないし、立ちたくないと思って自らの手で全ての幕を閉じてしまう日もくるのかもしれない。ただ、もうひとつくらいはやろうかね、と、思える公演になってしまった。そう思えたのは、周囲のスタッフや仲間のおかげと、見に来てくださった方々のおかげである。きっと私は来年の今頃も辛く苦しい初秋を迎え、「単独前」の状態で一つ歳を重ねるのかもしれないが、ピン芸人の単独は孤独やと稽古場で叫びながら、もうええわそれと周りに思われながらになっているだろうが、それを最後にしてもいいというつもりで、またひとつ、次の新しい舞台を作ってみたいと思っているのであった。

そんなことより、この一年間、私は情熱大陸に密着されており、それが放送されるのだという。ビバンの最終回の直後に。なんでビバンの最終回の後にヒコロヒーの情熱大陸やねん。みんな堺雅人の情熱大陸見たいやろ。本当にわしは反応が怖くて震えております、どうかお手柔らかにお願いします。頼むよ、増永さん。お願いしますよ、増永さん。

今月のヒコロヒー

profile

ヒコロヒー

ひころひー/松竹芸能所属。世界観や台詞(せりふ)で魅了するコントで活躍するピン芸人。DVD『best bout of hiccorohee』発売中。テレビ朝日『キョコロヒー』等に出演中。短編小説集『黙って喋って』が発売中。

X:@hiccorohee0016
Instagram:@hiccorohee

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