1. トップ
  2. カルチャー・教養
  3. バレンシアガのピエールパオロ・ピッチョーリが退任

バレンシアガのピエールパオロ・ピッチョーリが退任

  • 2026.11.7
Hearst Owned

ピエールパオロ・ピッチョーリがバレンシアガのクリエイティブディレクターを、就任からわずか2年足らずで退任することになった。彼に託されていたミッションは、メゾンが受け継いできた彫刻的なエレガンスの伝統を再解釈する一方で、前任者のデムナが築き上げたストリートウェアの熱狂的なファン層を維持することだった。

ピッチョーリがバレンシアガに加わったのは、昨年、ファッション業界でクリエイティブディレクターの交代が相次いだ時期のこと。多くのラグジュアリーメゾンが経営陣とクリエイティブ体制を刷新するなかでの就任だった。2026年春夏シーズンに発表されたデビューコレクションでは、バレンシアガを象徴するサックシルエットを探求。シンプルなイブニングドレスやセパレートアイテムに加え、彫刻的なフォルムのレザーアウターやバブルヘムのスカートを披露した。スペースエイジを思わせるサングラスや、ロングレザーグローブを合わせたスタイリングも印象的だった。

その後のコレクションでも、実用性と美しさを両立させるという考えを追求し続けた。2027年春夏コレクションでは、Tシャツとジーンズといった身近な定番スタイルを、ボリューム感のある洗練された装いへと昇華。メーガン妃やテッサ・トンプソンといった著名人からも支持を集めた。

バレンシアガの2026年春夏コレクション。 LAUNCHMETRICS SPOTLIGHT

1967年にイタリアで生まれたピッチョーリは、ローマのヨーロピアン・インスティテュート・オブ・デザインでファッションを学んだ。ブルネロ クチネリでのインターンを経て、フェンディのチームに加わり、デザイン学校時代からの友人であるマリア・グラツィア・キウリとともに仕事をする。彼女は後に、長年にわたるクリエイティブパートナーとなる人物だ。

約10年後の1999年、ふたりはともにヴァレンティノに移り、アクセサリー部門を率いることに。2008年には、同ブランドの共同クリエイティブディレクターに任命された。

2016年、キウリがディオールのクリエイティブディレクターに就任するのを機にヴァレンティノを去り、以降はピッチョーリが単独でメゾンを率いた。

バレンシアガの2026-27年秋冬コレクション。 LAUNCHMETRICS SPOTLIGHT

ヴァレンティノでは、エレガンスの体現者であり、色彩を自在に操る卓越した才能の持ち主として、その名を確立した。毎シーズン、新たなカラーパレットを提案し、色の組み合わせや虹色のとらえ方について、新たな視点をもたらした。2022年秋冬コレクションでは、ほぼすべてのルックを鮮烈なショッキングピンクで構成。この色は、彼の名にちなんでパントン社から「ピンク PP」と名付けられた。

なかでもクチュールコレクションは、ファッションそのものを祝福するような華やかな舞台として知られ、観客の涙を誘うことも少なくなかった。熱烈なファンとして知られるセリーヌ・ディオンが感動の涙を見せたことも、その象徴的な場面のひとつ。

幻想的な世界観を描きながらも、実際に着こなせるリアリティを備えていたことも、彼のクリエーションの魅力だった。人々が再びブティックを訪れたくなるような、夢と実用性を兼ね備えたコレクションを生み出していた。ヴァレンティノでは約25年間にわたってそのように大きな功績を残して2024年に退任。翌2025年には、満を持してバレンシアガへと移った。

バレンシアガの1957年のコレクション。 Getty Images

クリストバル・バレンシアガは1917年、スペインのサン・セバスチャンで自身の名を冠したブランドを創設。1937年にはパリにクチュールメゾンを再び構えた。デザイナーというよりも「ファッション界の建築家」と称されることも多い彼は、何よりもフォルムを重視する独自のビジョンで知られている。当時の主流だったコルセットを用いた服作りから脱却し、ボリュームやシルエットを自在に操ることで、新たな造形を追求した。そのクリエーションは彫刻的でありながら流動的でもあり、「チュニック」や「サック」といったシルエットは、今なおメゾンを象徴するデザインとして知られている。

その遺産は、ミシェル・ゴマ、ジョゼフ・メルキオール・ティミスター、ニコラ・ジェスキエール、アレキサンダー・ワン、そしてデムナら、歴代のクリエイティブディレクターたちへと受け継がれてきた。

デムナによるバレンシアガの2017年春夏コレクション。 Getty Images

ピッチョーリにとって、バレンシアガは理想的な組み合わせとなる可能性があった。しかし、2015年から2025年まで同ブランドを率いたデムナは、創業者が築いた原則を大胆に覆した。クリストバルとは対照的に、デムナは風刺的な視点を創作の根幹に据えていた。就任当初から自身の独自のビジョンを打ち出し、クリストバルが築いたクラシックなコードに、デムナならではのハイ&ローの感覚や、ヨーロッパのクラブカルチャーに集う若者たちを思わせる美学を融合させたコレクションを生み出した。こうして彼は、メンズ、ウィメンズの双方に幅広い熱狂的なファンを持つ、巨大なファッションメゾンへとバレンシアガを変貌させた。その功績があまりにも強すぎたのか、そうした既存のファン層を維持しながら新たな方向性を打ち出すことは容易ではなかった。

それゆえピッチョーリにとって、バレンシアガでの任務は困難な仕事であったことは間違いない。それは、クリエイティブディレクターの交代が常態化しつつある、現在のファッション業界の状況を象徴するものでもある。とりわけバレンシアガのような巨大な売上規模を誇るブランドにおいて、新たなブランドイメージを確立するには、わずか3シーズンという期間はあまりにも短い。

ピッチョーリは、疑いようもなく優れた才能の持ち主である。彼が次にどのようなクリエーションを見せてくれるのか、その日を楽しみにしたい。

From Harper's BAZAAR US

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ