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家の隅から中心へ、建築家が変えたキッチンの歴史

  • 2026.11.5
MARIKO YASAKA

いまや自分らしさを表現する場となったキッチン。その進化の背景には女性建築家のさまざまな活躍があった。システムキッチンの誕生から普及まで、その歴史をひもとく。『エル・デコ』2026年10月号より。

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人間工学的な視点から、合理的なレイアウトを追究

システムキッチンが生まれたのは1926年といわれる。第1次世界大戦後、住宅が不足するドイツ、フランクフルトで同市の建設局長に命じられた建築家のエルンスト・マイが公営住宅の計画を担うこととなり、マイは建築家のマルガレーテ・シュッテ=リホツキーを招き、共にキッチンの設計を行った。世界最初のシステムキッチンといわれる「フランクフルト・キッチン」(写真)だ。

リホツキーはウィーン応用芸術大学の前身となった工芸学校で最初の女子学生となり、在学中に社会住宅を学んだ。マイに誘われる以前からアドルフ・ロースらと共に住宅開発に携わった経歴をもつ。裕福な家庭で育ったリホツキーは後の回顧録で「フランクフルト・キッチン」を考案するまでキッチンに立ったことがなかったと明かしている。

<写真>マルガレーテ・シュッテ=リホツキーが手掛けた「フランクフルト・キッチン」。限られた空間を効率的に使うため、鉄道の食堂車を参照した。リビング・ダイニングへ続くドアは引き戸にするなど、徹底した省スペース化が図られている。作業時の歩数を抑えるといった考えは後の浜口ミホらにも継承される。

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女性建築家の提唱によって、作業場から家の中心へ

リホツキーが影響を受けたのはアメリカの経営学者、フレデリック・テイラーだ。より短い時間で効率的な作業を生み出す考えを説いた「科学的管理法」を受け、リホツキーは家事労働の行動を分析し、人間工学的な視点から合理的な空間を構成する。コンパクトで縦長な空間でレイアウトも動線も最少化し、女性の労働を合理省力化することを目指した。一方、デザインに影響を与えたのは、登場まもない鉄道の食堂車だ。一体化した造作家具、ビルトインのキャビネットの引き出しにはアルミ製の目盛り付き調味料入れ、作業台には調理の間に野菜クズなどを投入できるエナメル製のボックスを取り付けた。

床は水拭きも容易なスレートやタイルを採用。造作を緑がかった青に塗装したのは、当時の研究で虫が好まない色とされたから。この仕組みはヨーロッパからアメリカ、日本へと広く普及。第2次大戦後は、住宅不足と女性の社会進出の両面から社会を支えていく。 リホツキーに影響を与えたキッチンが、1923年に造形学校のバウハウスが発表した「ハウス・アム・ホルン」(写真)だ。現在の住宅展示場ともいえる実験住宅で、伝統的な様式や装飾を排して新たな機能性をもったさまざまな部屋が提示された。

<写真>再現された「ハウス・アム・ホルン」のフラットなキッチン。

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ベニータ・コッホ=オッテが担当したキッチンは、世界で初めて流し台、作業台、コンロ、収納を統一したといわれる。カウンターは女性の身長を考慮した高さで、効率的な動線から一直線に。随所に収納を設け、最新の湯沸かし器やガスレンジも装備していた。

棚は白く統一され、バウハウスの陶器工房にいたテオドール・ボーグラーがデザインした調味料入れを並べた。ここで注目したいのは、キッチンを独立した調理場としたことだ。当時の多くの労働者階級の住まいでは、狭い居室の一角が調理の場を兼ねていた。小さく合理的、何より清潔なキッチンの普及が求められた。バウハウス的な合理性をリホツキーは機能性に置き換えてデザインしたともいえるだろう。

<写真>建築家による自由なキッチンの一例といえる、フランク・ゲーリーの自邸。増築部に設えたキッチンはトップライトから自然光が降り注ぐ。

MARIKO YASAKA

日本でバウハウスのシステムキッチンをいち早く取り入れたのが、1935年竣工の土浦亀城・信子自邸(写真)だ。作業効率を高めた動線、配膳口や手元の採光は「ハウス・アム・ホルン」と共通する。一方、日本特有のダイニングキッチンの考えを広めたのは、日本で初めて女性の一級建築士となった浜口ミホだ。戦後に書籍や雑誌を通じ、新たな住まいの在り方としてダイニングキッチンを提唱した。

<写真>土浦亀城・信子自邸のキッチン。作業が一直線に行える設計で、収納の随所にも工夫が見られる。配膳のための工夫などはアルヴァ・アアルトの自邸にも見られ、同時代の建築家に大きく影響を与えたことがうかがえる。

Modern Living

寒く暗い北側に置かれた台所はダイニングキッチンの登場で生活の中心となり、南側に配置されるようになる。浜口は日本住宅公団にステンレス製流し台(写真)の導入を助言し、これが日本におけるシステムキッチンの原型となる。

いまやキッチンは自分らしさを表現する場。機器や食材の発展で調理の幅も広がり男女の差はない。しかしここに至るまで、多くの女性が社会の既成概念に向き合ってきた歴史がある。それを忘れてはならない。

<写真>浜口の活躍で一般化したステンレス製流し台。流し台と作業台が一体化し、衛生面でも利点があった。写真は『モダンリビング』13号(1956年発売)に掲載された当時のサンウエーブ社の広告。

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『エル・デコ』2026年10月号

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