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「嫌われる」と「好かれる」は紙一重。あなたは世間にどう評価されているのか?

  • 2026.11.1

「何となく嫌い」と大勢に言われる悲劇「ハサヘイト」に悩んだアン・ハサウェイ

人のイメージは、移ろいやすい。とりわけ今の時代はアッという間に評判が下がったり上がったり、また下がったり、信じられない速さで乱高下する。ましてや、何か問題を起こしたわけでもないのに、本人はまったく変わらないのに、評判だけが上下動する不可解な変化、それは有名人であろうと一般人であろうと同じこと。うっかりすると、自分たちもそうした浮き沈みに翻弄されないとも限らない。それほど今は、人が人を簡単に評価する、ちょっと危ない時代になっているのだ。

そこで思い出してほしいのが、アン・ハサウェイを襲ったヘイト事件。もう15年近く前のことになるだろうか。それは本当にある時突然、湧き上がった。おそらくはアカデミー賞の授賞式。助演女優賞獲得後のスピーチの時だったはず。彼女はそれを当然のことながら興奮しつつ喜び、声を震わせて「夢が叶いました」と語った。そして、関係者への感謝を次々に述べるわけだが、ここまではよくある受賞スピーチ。しかし夫にはとりわけ熱量ある言葉を送っている。

「私の人生で、何よりも素晴らしい瞬間は、あなたが私の人生に入ってきてくれたこと。心から愛しています」と。そしてまた自分が演じた女性の悲劇を取り上げて、正しい未来が来ることを願っていますと語ったが、たぶんこの辺りの表現に、何だか芝居がかっているという印象を持った人が少なくなかったのだろう。このスピーチを機に、アン・ハサウェイに「嫌い」が集中する。「ハサヘイト」という言葉が生まれるほど、彼女を嫌う人たちの声が渦を巻き始めたのである。

嘘っぽい、わざとらしい、だから何となく嫌い……まさにこの「何となく」のネガティブ印象が彼女をどん底まで突き落とした。何ら問題発言をしたわけではないのに、みるみる負の共感を生み、ある種の社会現象となって、彼女を窮地に立たせたのだ。

「何となく嫌い……」これは、個人的な意見としてはあまりにも曖昧で説得力がなく、何より身勝手だ。「私、あの子のこと何となく嫌い」そう言ったら、嫌った方の意地悪さが際立ってしまうが、みんなで嫌えば怖くない。それが波のように広がると、一人の人生を脅かすほどのことになるのだと思うと、鳥肌が立つほど怖い。そこから何年も続く「ハサヘイト」にアン・ハサウェイはどんな思いをしていたのだろう。しかし彼女は、怯むことも逃げることもなく、また誰かを恨むことも言い訳をすることもなく、毅然として女優という仕事を続けてきた。

その結果どうだろう。彼女を主役にした映画がここ数年何本も続いてる。『プラダを着た悪魔2』はまたも大ヒットとなった。大復活を遂げたのである。そりゃそうだろう。彼女は何ら悪いことをしていないし、本来才能に溢れたハリウッドでも際立って美しい女優なのだから。

もちろん、あのスピーチ以前にも彼女の優等生的な発言に違和感を覚えた人がいたのだろう。あるいは何か説明のつかない嫉妬心がそこにあったのかもしれない。でもそれが言いがかりに過ぎず、その違和感こそアン・ハサウェイらしい古風な生まじめさだということがだんだん伝わっていった時、世間は彼女を改めて評価した。そして見てほしい。彼女は40歳を越えているのに、もはや凍結的な若さを保ち、ますます上品な美貌を際立たせている。人生の浮き沈みをリアルに体現しながらも、今やハリウッドで誰よりも輝いているのは、ある種の勝者と言えないか。もしも自分に落ち度がないという確信があるなら、人はいかなる理不尽な批判にも決して屈してはいけないのだということを、この「ハサヘイト」事件は教えてくれたのである。

いい人も一回の失態で全面否定される。ともかく“人を否定したい時代”の怖さ

昭和と令和の一つの大きな違いは、スキャンダルの取り扱い方。昔は何だか許されていた芸能人の不倫が、今はおよそ許されない。しばらく謹慎させられ復帰を許されても、イメージが元通りにならないケースもしばしば。いや昭和には男の甲斐性で片付けられたものも、今やむしろ女性の方が大きなペナルティーを課されるような理不尽も起きている。とはいえそれ、令和の人間が潔癖になったからではない。もちろん個人的な問題から、“社会的なルールに反するコンプライアンスの問題”になったからでもあるけれど、もっと言うなら今は、SNSの影響か、“隙あらば人を否定したい願望”が湧いてきているからではないのか。

従って、今は不倫であろうが何であろうが、人の道に反することはすべて糾弾すべきという時代で、モラハラ的な言動はもちろん、他者に対して不遜なだけでもNGなのである。しかも、昔はもう少し人格が加味され、いい人ならば多少のことは許されたのが、今の世の中は一回の失敗も許さなくなっている。好意的な評価の積み重ねも無駄になる。「彼女、いい人だよね」と3年間言い続けられても、たった一つの悪い噂でたちまち評価を落とすのだ。それも、心理学的に悪い情報はいい情報よりもより強く記憶され、意識されやすいというネガティビティ・バイアスのなせる業。この作用がSNSではより強く働いてしまうともいわれる。まあそれこそが炎上のメカニズムと言っていいが、 SNS上のみならず、職場などの一般的なコミュニティーの中でも、同じような炎上が起きやすいのは、やっぱり“人を否定したい願望”のせいなのではないか。

ではなぜそれほど、人は人を否定したいのか? これはズバリ、自分は正しいと思いたいから。もちろん誰だって自分を正しいと思いたいけれど、この場合は、自分の正しさを強調するために、独自の正義感をもって相手を否定する形。自分を肯定したい、ちょっと孤独な人がたくさん集まるから、結果として誰かを糾弾することになるという、なかなか厄介な時代なのである。

もし世間が虎視眈々と否定できる材料を探しているとしたら、こちらも隙をつくっちゃいけない。とはいえ、たとえばの話として、藤田ニコルさんが子どものお宮参りをSNSに上げたら、子どもが欲しくてもできない人の気持ちを考えたことがあるのかという批判を浴び、それ自体が物議を醸したというが、これなどはもちろん失態でも何でもない。だから非常に残念だけれど、そういう世の中であることを私たちは学び、だからせめて、そういうことさえ起こり得るという想像力を養わなければいけないのだと思い知ろう。自分が申し分なく幸せな姿を人に見せつけるのは確かに配慮に欠けるし危険を伴うが、お宮参り的な行事にすら危険が潜んでいるのだという想像力を。

ちなみに、そういう批判にも一定の正義感が含まれているからこそ厄介なのだが、とはいえそれはやはり人を否定するためのちょっと歪んだ正義感。逆に、ちゃんと正しい正義感でそれを擁護し、理屈の通らない悪口を社会のルールとして正す声があるのも、今の時代の救いだろう。

どちらにせよ正義感にも2つの種類があることを忘れずに。そこで人を否定したくなった時にこそ、自らにも問いたい。自分の中に今ある正義感は、他者を救う正義感か、それとも自分は正しいと思うための正義感か、一体どちらだろうと。否定される人の立場も体感できるはずだから。

黙って待っていたキムタクの勝利、見事に自己演出する田中みな実の大勝利

このところ、キムタク起用のCMがやたらに増えていて、再ブレイクという見方もあるらしいが、この現象にも実はいろんな教えがある。旧ジャニーズ事務所の問題で、一時期SNSでは批判めいた反応が見られたというが、あることをきっかけにイメージが好転していく。それは、何となくだがライバル関係にあると思われていた人とのシーソーゲームで、評価の逆転があったと見てもよい。これはタレントとしての能力を競い合うような比較ではまったくなく、単純にイメージだけの逆転。その相関関係に根拠はないが、あくまで一般論として、Aが沈むと、Bが必然的に浮かび上がるだけでなく、たとえばAの“親しみやすさ”が勝っていたのに、それが裏切られると、Bの“冷たさ”が一転“プロ意識”に見えてくる、みたいな奇妙なメカニズムが働く。比較における評価の逆転は、思いもよらない結果を生むのだ。

だから選挙などで一騎打ちのような時、相手の弱点や汚点を世に知らしめるネガティブキャンペーンが行われるわけだが、でも相手の足を引っ張れば自分も沈むことに気づかなければいけない。Bは批判の的になった時に黙っていたからこそ、たまたまAが失脚したことで、無傷のままより高い評価を取り戻したと言える。批判に対して、毅然と立ち向かうのも時には必要だけれど、待っていれば状況が逆転することもあるという教えだ。

一方“不戦勝”的に、結局他の追随を許さずに、イメージでの大勝利を収めたのが、我が美容界のカリスマ、田中みな実さんだろう。局アナ時代から自らあざと系という嫌われキャラを演じ続けるも、結果として「可愛いあざとさ」で女性たちも魅了、恋愛難民かのような発言をしつつも、人も羨む結婚を鮮やかに決め、自らイメージを微細にコントロールしながら理想のゴールへ持ち込むという、唯一無二のスマートすぎる自己演出には、唸らざるを得ない。世の中が勝手にライバルをつくろうとしても、いつの間にか一人さっさと先に進む形で自ら身をかわし、誰とも比較しようのない高みにいる姿もあっぱれ。自分のイメージを自ら操作し、スピードを出したり緩めたり、右折したり左折したり、危険を孕みながらもぶっちぎりの不戦勝ゴール、リスク覚悟でこんなに自由自在にイメージを操れる人が、他にいるだろうか。

ここで何を言いたいかというなら、イメージは実のところ自分でいくらでもコントロールができるのだということ。本当に難しいが、できるのだ。世間に上げたり下げたりされるくらいなら、自ら上げ下げし、やがて誰も否定ができないほどの存在へ。今のこの、人を否定したい意地悪な時代にこそ、田中みな実に学べ! そう言いたい。

イメージは自分でいくらでもコントロールができる。本当に難しいが、 できるのだ。世間に上げたり下げたりされるくらいなら、自ら上げ下げし、 やがて誰も否定ができないほどの存在へ。今のこの、人を否定したい 意地悪な時代に、田中みな実が大勝利したように。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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