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【黒柳徹子】女優の母から継いだ「水谷八重子」の人情、情緒

  • 2026.10.31
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第54回】女優 水谷八重子さん

先日お亡くなりになった水谷八重子さんのことを、私は「良重ちゃん」と呼んでいました。NHKの『若い季節』(昭和36〜39年)という、銀座にある化粧品メーカーを舞台にしたテレビドラマで共演していたのです。ミュージカル仕立てのドラマで、毎回生放送。ほとんどの人が家にいる日曜の夜、ゴールデンタイムに放送される番組で、今の大河ドラマとだいたい同じスケジュールでした。今の若い方はご存じないと思いますが、水谷八重子さんというのは、2代目なんです。初代の水谷八重子さんは、明治38年の生まれで、昔々、歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発展した「新派」という演劇の一派で、60年以上舞台に立ち続けた方です。最初、私は良重ちゃんが(初代)水谷八重子さんの娘だとは知らなくて、たまたま新派の舞台稽古を見に行ったとき、客席にいた八重子さんが私に「良重がいつもあなたのお菓子を食べちゃっているんでしょ。ごめんなさいね、これ召し上がってください」なんて言って、お菓子をくださったの。そのとき初めて、水谷八重子さんが良重ちゃんのお母様だってわかって、驚いたんです。『若い季節』で良重ちゃんは、女優というより歌手としての実力を発揮していた印象があったから。

偉大なお母様を持つと、娘は大変です。小さい頃から、「母の跡を継ぎなさい」と言われて育ったけれど、新派のような芝居は自分の性に合わなかったから、ジャズなんかを歌ってテレビに出るようになった。良重ちゃんはお母様よりもうんと大柄で、170センチもあって。声もハスキーだし、タイプも全然違う。でも、昭和54年に八重子さんが亡くなって、良重ちゃんはのちにちゃんと跡を継ぐんです。50代半ばのことでした。ずっと「そんな私に言われても」って戸惑いやためらいはあったと思うけれど、私には、不安や愚痴みたいなことは何も言いませんでした。

お母様に『徹子の部屋』に出ていただいたときは、若い頃、ソプラノだった声を長歌の稽古で潰してしまった話や、大正14年に一般人として日本で最初に偵察機(飛行機)に乗ることになったときの話、年の瀬に集団強盗に入られた話、ファッションデザイナーのヴァレンチノさんとハリウッドでお会いになった話なんかを伺いました。その中でとくに印象に残っているのが、関東大震災がきっかけになって、「新派をやっていこう」と決意したときのお話です。

大正12年9月1日。18歳になったばかりで被災した八重子さんは、「もう東京にはいられない」と、親戚の伝手を頼って関西に行こうと思ったんですって。すると、義兄で、のちに第二次芸術座の中心人物として活躍した水谷竹紫さんに、牛込会館という高いところに連れて行かれて、焼け野原を見ながら、「こういうときに一番必要なのは、やはり心を和ませるものだし、それには、こういうときにこそ立って、本当に芝居なりなんなりやるのが、これから伸びていく道になる」と言われたのだそうです。それで関西に行くのはやめて、その牛込会館で震災後初めて芝居をしたら、お客さんが何百メートルも列をなした。八重子さんは、「これはもう、自分のしたいことよりは、こういうことをしていくのが自分の道じゃないかしらん、とおぼろげにわかって。それまでは、自分の好きな芝居、お小遣いを持ち出して、いわゆる新劇をやっておりましたけれども、大衆の中に入っていかなければというのをおぼろげに教わって」と話してくださいました。

さっき私は、「親の跡を継ぐことに関して、良重ちゃんは何も言わなかった」と書きましたけど、もしかしたら、「自分の道とは何だろう?」と考えたときに、お母様とおんなじ気持ちになったんじゃないかしら。私が良重ちゃんに最後に会ったときは、たまたま良重ちゃんが座長を務める舞台の稽古中だったのですが、良重ちゃんて、自分から細かい指示なんかは出さないで、座っているだけなの。あんまりいろんなことは言わなくて、誰かに何かを聞かれると、うんうんと頷いて。それだけなんだけれど、私はそのときにね、座長っていうのはこういうのがいいんだなと思いました。チャラチャラせずに、あっち行ったりこっち行ったりもしなくて、改善点とか変更点を考えたりしないで、人が来て何か聞かれて、それに答えて、相手がいなくなるのを待っている、みたいな。そこにいる誰もがおぼろげに、自分の目で足りない何かを見つけて、補っていく。そんな現場に居合わせたとき、新派劇がテーマとする“人情”や“情緒”の継承のようなものを感じました。

水谷八重子さん

女優

水谷八重子さん

1939年生まれ。東京都出身。母は初代・水谷八重子。父は歌舞伎役者の14代目守田勘弥。5代目坂東玉三郎は義理の弟に当たる。文化学院在学中の1955年、水谷良重の名で歌舞伎座新派公演で初舞台。ジャズ歌手としてもデビューし、新派と歌舞伎のサラブレッドとして注目を集める。NHK紅白歌合戦にも4回出場。1995年に母の跡を継いで2代目を襲名。新派を代表する女優として活躍した。2026年8月28日肺炎のため逝去。享年87。

─ 今月の審美言 ─

災害のあとで必要とされるのは、心を和ませるもの。芝居なりなんなりやるのが、これから伸びていく道になる

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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